フランスやドイツは激怒しFBのCEOは対応に苦言
ネットではとかく陰謀説というのがよく話題にされ、面白おかしく語られている。まっとうそうな大人は大概冷やかで眉をひそめる、陰謀説の多くはそんなネットの風物詩の1つなのだが、今回はそういった娯楽とは質の違う情報がリークされ世界を驚かせた。その中心人物こそが本書の作者グレン・グリーンウォルドとNSA(アメリカ国家安全保障局)の情報をリークしたエドワード・スノーデンその人である。
スノーデンは何を暴露したのかというと、全世界のインターネットは国家(本書では特にアメリカ)に監視されているということだ。例えば我々が検索エンジンに何というキーワードを入力しどんなことに興味をもっているのだとか、どこに何時に電話したという通話記録など個人のプライバシーを何の了承もなく国家は盗み見ているということだ。
日本に照らし合わせればある掲示板にカッとなり犯罪でないにしろ、日本を(もしくはアメリカなどの主要同盟国を)侮蔑するような過激なことを書きこんだとしよう。その場合過激な発言を書き込んだネットユーザーは当局の監視下におかれgmailなどの個人的なやり取りすら盗み見られるようになりえるのだ。そこにプライベートはない。なるほど過激な発言をするものは犯罪予備軍と考えればマークしておくべきだとの意見もあろうが、それこそがNSAの強硬姿勢を生んだテロとの戦いの正当化ではないだろうか。しかも行き過ぎた監視はなんの問題も起こさない一般人にまで及んでいるのだ。善良な態度で日々を送るあなたは国にメールを見られたいとおもうだろうか。戯れも率直な意見もネットに書き込めない監視されていることを前提とした行動になる。まさにフランスの哲学者ミシェル・フーコがいうパノプティコンの原則の完成であろう。
そもそもこのNSAによる正当性のないプライバシーの侵害は、アメリカ国民がイギリスから独立する際に守られるべき個人の権利であったのだ。国のあり方の礎を破壊するこの現実は本書の読み手に対して様々な考えを巡らせるだろう。
テレビゲームと正義感
スノーデンはなぜこのような行動をとったのか、彼は決して組織での疎外感を味わっていた人間ではない。かれは正義の心情からこのような行動を起こしたのだ。本書でグレン・グリーンウォルドはスノーデンの正義感は何によって培われたのかと本人に尋ねた時、彼はちょっとお堅い人間には理解できない回答をした、「正義感はTVゲームによって培われた」と。
ある優秀な若い経営者と先日ゲームの話をした。優秀な若い経営者はこう言った「ゲームは時間の無駄である。ゲームにはまる人間は実社会で成功体験がないから、その成功体験をゲームで味わい中毒となっているのだ」と。この彼の発言は一理も二理もあるのかもしれない。しかしストーリ仕立てのゲームは小説とどれほど違いがあるのだろうか。小説とRPG、誰かの体験を仮想体験するのは似たようなものではないだろうか。私はゲームもマンガも純文学も大衆小説もそれぞれ素晴らしいものは体験もせず馬鹿にして良いものだとは思わない。
話を戻そう、スノーデンは1983年生まれの30歳。身の回りに当たり前のようにゲームがある世代だ。ゲームに触れることは書店で本を買うがごとくウキウキはするけれども特別な非日常体験ではない。
ゲームでは一人で悪に立ち向かい打倒する、そんな展開のものが多い。彼はそういった悪と戦うプレイヤーをリアルに重ね合わせ、世界最強の政府に一人で立ち向かったのだ。端的に書いてしまえばゲームばかりやっているからそんな幼い行動をとるという賢明な方々の意見も正しいように聞こえる。しかし法を自ら破る政府が、はたしてスノーデンより正しいと言えるのだろうか。スノーデンは告発に際して、己の確実な身の破滅を理解しており、かつ知人に迷惑がかからないよう自分が情報を外部に漏らした痕跡をわざと残した。それでも個人のプライバシーは守られるべきという彼の正義に従い己の身の破滅へ吶喊した。
だが同時にスノーデンはテロを行う人間に対するマークを緩めさせ、国家の安全を脅かす行動したという事実も存在する。こればかりは読み手の皆さんがどのように感じ取るか是非同書を手に取り考えてみてほしい。
最後に本書には個人のプライバシーを企業がNSAに提供しやすいようあれこれ工面している旨がつづられていた。マイクロソフトやGoogle、フェイスブックなどパソコンを使う皆さんが避けて通れないネットの巨大企業達である。これをどう思うべきか。