自分の読んだことのない小説を
魔王は、シューベルトの歌曲がタイトルのもとになっている伊坂孝太郎の中編作品です。自分の読んだことのない小説を書きたいとの著者伊坂孝太郎の想いから生まれた作品。
物語の中心となるのは、ある兄弟と世の中を取り巻く不穏な空気との葛藤です。兄は、自分の考えた通りの言葉を、他人に好きなように発言させることができるという、特殊な能力を持っています。その弟は、おだやかな性格でありながら強さを秘めていて、勝負強いという能力があります。
この物語の見どころは、兄弟二人の強い絆が強大な力に立ち向かうところです。決意や勇気だけではどうにもならないような、世の中の大きな流れに対して、あまりにも無力な個人の力という、現実とシンクロするようなストーリーの展開は、超能力を扱っているにも関わらず、読者に物語をリアル感じさせます。
日本で、政治不信からあきらめムードが支配している空気のとき、カリスマ性を持った政治家が次第に人々の心をつかんでゆく過程に、違和感を覚える兄は、自らその独裁者を止めに入ろうと決意します。
また、憲法解釈や選挙に対するいろいろな制度が、さりげなく独裁者に有利なように改変されていることや、人々が自分たちの意思で彼を選んでいるかのように錯覚させられる過程の描写が秀逸です。兄の「考えろ、考えろ」という台詞が心に残ります。