人間の鏡としての鳥人大系
「鳥人大系」は、マンガの神様・手塚治虫が1971年~1975年までSFマガジンで連載していた作品です。我が物顔で文明を謳歌する人間に対する警鐘の意味を込めて描かれた作品でもあります。一話一話のストーリーは短編ですが、それぞれが一貫した大きなテーマに沿って描かれた、いわゆる大系ものです。作品タイトルに「鳥人」とあるように、鳥が知能を持ち、人間を駆逐し、人間に取って代わる存在となります。しかしそこで起こったことは、人間の醜い歴史の繰り返しだったのです。
これは「火の鳥」未来編に出てくる進化したナメクジのエピソードとも重なります。しかし、作品の価値は「何を描くか」と同じまたはそれ以上に「どのように描くか」で決まります。「河童」にも火の鳥のナメクジのエピソードにも描かれなかったもの、それは差別です。
鳥人が、自分たちが凌駕し、駆逐した人類を差別するのは当然の態度なのかもしれません。ところが、鳥人同士でも対立・差別が深刻化します。羽の色、模様で差別しあう姿は人間の人種差別の縮図です。猛禽類から進化した鳥人たちは、本能に抗しきれずに同族の肉を食べますが、それを正当化するだけの知能を彼らは獲得しています。この「鳥人大系」を読むと、先に書いたナメクジのエピソードで、最後の一匹の最期の言葉が浮かびました。「もとの下等生物のままでいれば、もっと楽に生きられ、死ねたろうに、進化したおかげで・・・」。
あらすじとしては、人間のエゴのために知恵を付けられた鳥が、これまで社会にのさばってきた人間に対して抵抗を始め、やがて進化して文明を乗っ取るというものです。鳥がその進化を完成させた近未来を想定したシーンでは、鳥の生態を人間さながらに描くなどのコメディ要素も見られますが、テーマの根底にある「支配するものとされるもの」という構図からは大きく外れることなく、淡々と描かれています。また、鳥が支配する世界では、人間が奴隷や虫けらのような存在として描かれていたりして、どこかで見た有名SF映画を連想されることもあります。
最後は、行き過ぎた鳥の支配に対しての警告として、人間が鳥に代わったように、次なる支配者を鳥からゴキブリへと交代するシーンで終わるのですが、まるで輪廻転生を表すかのようなこの展開は、「火の鳥」や「ブッダ」などに似た感覚とも言えるでしょう。シリアスでありながらわかりやすい、手塚作品の様々な要素が詰まった秀作です。