#627 私の聖なる時間、聖なる場所
あなたという時間が好き。
あなたという時間は、いつもと違う時間。
特別な時間。
他の時間と全く違う。
楽しいから早く過ぎというだけの意味ではない。
時間が止まる感覚でもある。
時計で計ることができる「何時何分」という時間ではない。
「何時間何分」という時間でもない。
時計の流れとは交わらない時間がここにある。
これが、永遠という感覚だろうか。
「このまま、時計が止まってしまえばいいのに」というけど、もはやその感覚ですらない。
時間を超越している。
あなたは、いつも、この超越した時間の中に生きているに違いない。
2つの現地時間で生きているのでもない。
あなたの時間は概念自体が違う。
何に似ているか探してみた。
それは、お墓参りのときの時間。
お墓の前で手を合わせる。
その時間は普通の時間ではない。
お骨拾いをしたときの時間。
悲しさを超越した時間。
生も死も、超越している。
「聖なる時間」。
「性なる時間」でもあり、「生なる時間」でもある。
全ての原点に戻る時間。
日常の中で「聖なる時間」は、貴重になった。
古代人は、日没に「聖なる時間」を持っていた。
夜明けに、「聖なる時間」を持っていた。
私にとって、あなたとの時間が「聖なる時間」。
あなたに包まれるこの場所が、「聖なる場所」。