#691 誰も、全貌を把握できない。
あなたの誤解を楽しむ所が、好き。
今日は、パーティー。
パーティーでのあなたの立ち居振る舞いが、好き。
貴族然として振る舞うだけでない。
きさくに、サービス精神満載でもある。
誰もが、あなたに話しかけに、来る。
あなたは、主催者ではないのに、主催者の協力者として、盛り上げに協力する。
頼まれたわけではない。
そういう宿命と、感じている。
本で、読んでる人。
講演で、話を聞いている人。
テレビで、見ている人。
あなたの印象は、見た人で違う。
誰一人、あなたの全貌を知る人はいない。
あなたは、相手の知っているあなたとして、対応する。
そこに、仕方なく感は、微塵もない。
誰もが、あなたの全貌を知っていると、勘違いしている。
あなたの全貌は、誰も知らない。
あなたしか知らない。
私も、あなたの全貌を、知らない。
あなたをよく知る人ほど、「全貌を、把握できない」と感じている。
あなたの一部、それは、100分の1どころか、10000分の1を知っている人でも、「どうしたらそんなに、たくさん」と驚く。
ふと思う。
あなたは、それで、寂しくないだろうか。
誤解されていることは、孤独だ。
私だったら、耐えることができない。
あなたは、理解されていないことに、なれている。
諦めているというより、楽しんでいる。
私は、みんなより、少しだけ、あなたのそばにいる。
だから、わかる。
あなたは、その忙しさの中で、その本を、いつ読んでいるのか。
その勉強を、いつしているのか。
不思議でしょうがない。
不思議に感じれることに、私は誇りを感じる。
名刺の列が、途切れない。
もう、十分サービスしたから、帰っても大丈夫なのに。