『ボートハウスの奇跡 一枚のトレーナーに込められた夢』(著=下山好誼)、先行連載の第3話目。
前回は、
第2話
『ジョイマーク・デザイン 変わらないモノ 変わらないコト』
をお送りした。
1980年代『ボートハウス』は、アイビー・ルックのアイコンとして燦然と輝き、社会現象となった。
当時、多くの人が「『ボートハウス』を着たい!」と、強く願っていたことだろう。
これまで、全2回の連載は『ジョイマーク・デザイン』のログ、航海日誌を追った。
読者のみなさんも『ジョイマーク・デザイン』について、理解を得られたことと推し量る。
では、著者は誰に、何に、憧憬の心を起こしたのか?
先に答えをお伝えすると、メンズファッションブランド『VAN』である。著者はその全てに魅了されていた。
今回は、著者と『VAN』との出会いについてお送りする。
第3話目
『VANとの邂逅 下山好誼のルーツ』
以下、『ボートハウスの奇跡 一枚のトレーナーに込められた夢』より引用抜粋
僕のモノづくりの基準は、とにかく”自分がやりたい”と思えること。そんなに深く考えていない。
東京デザイナー学院出身という経歴は「なるほど」と説得力があるかもしれないが、実は学んだのはグラフィックデザインで、服飾デザインの勉強をしたわけではなかった。でもどうしてもファッション業界で勝負したくて、卒業してすぐに独立し、最初につくったのはエプロンだった。僕のデザインをプリントしたエプロンで、メンズショップの三峰(みつみね)に置いてもらった。
それが、僕のモノづくりの原点。後々、衣料品製造・販売業へと歩んでいく第一歩になった。
グラフィックではなくファッションへと興味が向いたのは、やはりVANの石津謙介先生の影響が大き過ぎるほど大きい。
東京に出てきて、VANファッションでキメた”みゆき族”を見たときの衝撃はすごかった! 田舎者の僕にとって、こんなカッコイイ世界があるんだという驚き。あれはもう単なるファッションではなく、それまでの日本にはなかったカルチャーだった。
岡山にいた頃、映画からアメリカンカルチャーを垣間見て憧れていた僕は、すぐにVANに夢中になった。こんな文化を持ち込んだ石津先生って、すごい人だな!と思いながら、働いたお金をVANの服につぎ込むようになった。
あのVANの強烈なインパクトがなければ、服づくりという道に進んだのかどうかわからない。どちらにしても、今の自分はいないと思う。
そのVANへの憧れをベースに、自分の好きなこと、やりたいことを注ぎ込んできたのが僕の服づくりだ。「憧れ+好き+やりたい」だから、そりゃあ楽しい! この楽しさこそが原動力になっている。
次回、
『ハッピーの共鳴 下山好誼の仕事とは』
明日(9/2)公開予定。
「続きが読みたい!」「本を購入したい」かたはこちらから
2017年9月4日発売予定。全国主要書店さんにてお買い求めください。
■著者プロフィール
下山好誼(しもやま・よしみ)
1947年岡山県生まれ。東京デザイナー学院を卒業後、1969年に22歳でジョイマーク・デザイン社を設立。 1979年には『BOAT HOUSE』を発表し社会現象とまで言われた一大ブームを生み出す。その後も様々なブランドをリリースするが、アメリカ、海、トラディショナルスタイルをキーワードとするライフスタイルの提案は、いちアパレルブランドのデザイナーと言う枠に留まらない活動へと繋がっている。
■著書紹介
<内容紹介>
1980年代、当時一世を風靡するほどの一大ブームを巻き起こした
アパレルブランド「BOAT HOUSE」を生んだ、ジョイマーク・デザイン株式会社社長・下山好誼氏、初の自伝エッセイ。
「キャプテン」という愛称で、ファンに長く愛され続ける下山氏。
世代を超えて愛されるブランド「ボートハウス」「キャプテンサンタ」をつくり上げるまで、成し遂げてきた仕事の軌跡とそのルーツをたどる。心からアイビーファッションを愛し、「ブルートラディショナル」を生み、時代の寵児と言えるだろうキャプテンのすべて!