『ボートハウスの奇跡 一枚のトレーナーに込められた夢』(著=下山好誼)、先行連載の第6話目。
前回は、
第5話
『アメリカへの憧れ 下山好誼の原風景』
をお送りした。
前回は、著者下山氏が憧れる「アメリカ文化」への熱い想いに迫った。
抱いていたアメリカへの憧れが仕事に繋がったわけだが、それだけで仕事として長く続けるのは難しい。
では、なぜ著者は情熱という炎を燃やし続け、仕事に取り組むことができるのか?
そんな疑問を今回は解いていく。
第6話
『ぶれないスタイルと信念 仕事への原動力』
以下、『ボートハウスの奇跡 一枚のトレーナーに込められた夢』より引用抜粋
ずっと石津謙介先生を尊敬している。
VANを知ってから、「VANを着ていればきっといつか石津先生に会える!」と信じて全身をVANで固めていた十代の頃。想いが通じて銀座ソニービルにあったMr.VANのショップで偶然にお会いでき、声をかけていただいたときの興奮を忘れない。
それからずいぶん後だが、親しくお付き合いさせていただくようになり、長い時間を一緒に過ごした。石津先生のスピリットを直接感じることができたことが、本当に幸せだったと思う。
僕のファッションは、間違いなく石津先生の影響を受けてきた。アメリカに憧れている僕にとって、石津先生のトラディショナルファッションはまさに自分のファッションとなった。だから昔も今も、ボタンダウンを着続けている。
ずっと海が好きだ。その想いを込めたのがBLUE TRADITIONAL。
若い頃にサーフィンにのめり込み、念願のヨットを手に入れ、油壷とハワイの海辺に別荘を建てた。油壷に通っては潮風を感じ、年に2ヵ月以上はハワイに滞在してサーフィンを楽しんでいる。
海で楽しむことが、間違いなく自分の仕事の原動力になっている。海に似合うファッションを考えることは楽しい。
80年代のはじめのボートハウスの熱狂があまりに印象的だったために、僕のファッションを一時的なブームだったと考える人がいても仕方がない。だが、はっきりと伝えたいのは、僕はブームの仕掛けなどとはまったく無縁で昔も今も何も変わっていないということ。
進化はしたいと思うが、スタイルも信念も決してぶれない。エプロンをつくっていたときも、社会現象としてマスコミにこぞって取り上げられたときも、まったく同じようにただ好きなことを追い求めてきた。好奇心のおもむくままに楽しんできた。これからも、決して変わることはない。
次回、
最終話
『ジョイマーク・デザインの未来』
本日(9/4)公開予定。
「続きが読みたい!」「本を購入したい」かたはこちらから
2017年9月4日発売予定。全国主要書店さんにてお買い求めください。
■著者プロフィール
下山好誼(しもやま・よしみ)
1947年岡山県生まれ。東京デザイナー学院を卒業後、1969年に22歳でジョイマーク・デザイン社を設立。 1979年には『BOAT HOUSE』を発表し社会現象とまで言われた一大ブームを生み出す。その後も様々なブランドをリリースするが、アメリカ、海、トラディショナルスタイルをキーワードとするライフスタイルの提案は、いちアパレルブランドのデザイナーと言う枠に留まらない活動へと繋がっている。
■著書紹介
<内容紹介>
1980年代、当時一世を風靡するほどの一大ブームを巻き起こした
アパレルブランド「BOAT HOUSE」を生んだ、ジョイマーク・デザイン株式会社社長・下山好誼氏、初の自伝エッセイ。
「キャプテン」という愛称で、ファンに長く愛され続ける下山氏。
世代を超えて愛されるブランド「ボートハウス」「キャプテンサンタ」をつくり上げるまで、成し遂げてきた仕事の軌跡とそのルーツをたどる。心からアイビーファッションを愛し、「ブルートラディショナル」を生み、時代の寵児と言えるだろうキャプテンのすべて!