(1)幼い頃からの好きを大事にせよ
小池一夫です。
僕は幼いころから、とにかく、物語が好きな子どもで、家にある本だけでなく、学校の図書室にある本も読み尽してしまうような子どもでした。
たまたま、近所に大きな蔵のある家がありました。
その家の息子さんは戦争で亡くなってしまったのですが、とても本好きで、蔵の中に彼の蔵書がどっさりあるという噂でした。
僕は、その家の方に本を読ませて欲しいと頼み込み、外に持ち出さず、昼間に、蔵の中で読むならOKという許しをもらいました。
噂通り、蔵の中には、息子さんが読んでいた戦前の「少年倶楽部」のような雑誌や、世界名作全集、冒険小説、講談の立川文庫など、たくさんのワクワクする物語がありました。
僕は、放課後になると蔵の中で、物語の世界に没入しました。
そうすると、やっぱり、誰かに話したくなるんですね。
僕は、学校の友だちに、前の日に読んだ物語を、語って聞かせました。
戦後すぐの物のない時代ですから、友だちはみんな、食い入るように僕の語る物語を聞いてくれました。
だんだんと、それが当たり前になりました。
蔵の中の本は持出厳禁ですから、蔵の中で読んだ物語を覚え込み、それを、身振り手振りをくわえながら、友だちに語るんですね。
それがウケる。
友だちが、僕が語る物語で、友だちが笑い、驚き、ホロリとなる。
その反応がすぐかえってきますから、だんだんと講釈師のように、面白おかしく語るコツのようなものもわかってくる。
一本調子で語るよりも、メリハリをつけたほうがいいとか、間を工夫するとか。冗長な部分をはしょるとか。謎をちらつかせるとか。
観客との心と心の駆け引き、自分なりの脚色というか、演出をするようになったんですね。
今思えば、これは本当にいいトレーニングになっていましたね。
小説家、脚本家、漫画家問わず、「物語る人」になりたい人は、物語を誰かに語ってみることです。
面白く語る話術がある人は、書いても面白い、というのは僕の実感ですね。
時々、「何を書いたらいいかわからなくなった」という人がいます。
そんな時は、幼いころに大好きで仕方がなかったもの。
日がな一日、読んでいたり、やっていても全く飽きなかった本や遊び。
「○○ハカセ」と呼ばれるくらいに熱中し、暗記した知識はありませんか?
そういうものを、思い出してみましょう。
それが、あなたの「好き」の基本です。
そこに、打破できるヒントがあるかもしれません。
(2)誰かのための知識が、自分の知識になる
大学進学のために秋田県の大曲から上京した僕は、すぐに小説家の山手樹一郎先生のご自宅を訪ねました。
昭和30年(1955年)前後ですね。
山手先生は『桃太郎侍』『夢介千両みやげ』などの時代小説で知られる人気作家で、僕は山手先生の作品が大好きでした。
池袋の要町に山手先生のご自宅がありました。
黒い塀が続く、大きなお屋敷でした。
山手先生はちょうどお留守で、先生の奥様が庭の掃き掃除をされていました。
学生服の僕を見て、奥様が
「学生さん? 大学を卒業してからいらっしゃい。まあ、時々は、遊びに来ても良いけど」
とおっしゃったので、僕はお言葉に甘えて、僕は山手先生のご自宅に度々伺う、「通いの書生」、といった感じになりました。
当時、山手先生には20人以上のお弟子さんがいて、「新樹」という同人誌を発行されていました。僕はその28人目か、29人目かの末端の、弟子といえるかどうかという程度の書生だったんですが、ともかく山手先生の門下生ということになりました。
山手先生と無二の親友だったのが、山本周五郎先生。
よく山手先生のご自宅にいらっしゃって、原稿を書かれたりしていました。
僕は山手先生の書生でしたが、山本先生にも、同じようにかわいがってもらいました。
周五郎先生は「お茶!」と言われれば、僕が、お茶を持って行くんです。
お茶の温度にこだわる方で、ぬるいと「お茶がぬるい! やり直し!」と言われました。
周五郎先生はまた、ご飯の替わりに日本酒を嗜むような方でしたから、「酒」と言われれば、お酒を持ってとんで行きました。
山手先生や周五郎先生の近くにいて、僕も何か時代劇のことを書いてみようと思うんですが、書けないんですね。
当時は、知識がありませんでした。
そこで、僕は、先生のお宅にいる間、時間が空いた時に、先生の書庫の時代劇資料を読ませていただいていました。
青蛙房という出版社の江戸時代に関する本や、三田村鳶魚の江戸の資料などがズラッとありましたが、もちろん持って帰ることができませんし、当時はコピー機もありませんでしたので、ノートに書き写しました。
この「書き写す」というのも、とても勉強になりましたね。
現代ではコピー機や携帯のカメラなどで、すぐに複写できますが、それでは、資料を所有したことで満足して、あまり記憶には残りません。
記憶に残らないということは、せっかく手に入れた資料にたどり着けないということです。
やはり、書くことが大事ですね。
もちろん、今ならワープロで打ち直すのでもいいでしょうが、手書きの方がより記憶に残るんじゃないかと思います。
結局、僕は時代小説家にならず、劇画の原作者という道を選びましたが、そのベースになったのは、この頃に得た時代劇の知識です。
その後、さいとう・たかを先生のさいとう・プロに入り、漫画の脚本を書く際に、さらにいろんな資料を徹底的に調べました。国際情勢や各国の歴史、銃器や車に関することなどを、キャラクターにくっつけるのです。
さいとう先生や、スタッフの会議の中で出たアイデアをもとに、リアリティある漫画にするために、調べて調べて調べまくるのです。
当時はインターネットがありませんから、調べたい時があれば、書店か図書館に行き、それでもない場合は、神田の古書店街や、国会図書館に行ったり……ある意味では足で調べる、という感じでした。
現代でも、インターネットで入手できる情報は「とりあえず大体どういうものかがわかる」といったものがほとんどだと思いますので、より面白いネタ、珍しい情報、本格的な知識と出会うためには、書物にあたってみる。
誰もが知っている本よりも、あまり他の人が知らない本を見つけ出して、そこからの知識や発想をキャラクターにくっつけてやればいいのです。
この瞬間も、図書館や古書店の片隅に、人知れず面白いネタが埋まっています。
実際にその漫画に使われる知識だけでなく、その周辺にあるさまざまな知識を得ることで、作品に立体感とディティールのリアリティが生まれるのです。
独立し、『子連れ狼』がヒットした時、僕は山手先生のところに単行本を持っていきました。
「『子連れ狼』とは面白いタイトルだね。これからはこういうものが流行ってくるんだろうね」
と言っていただきました。
その数年後に山手先生はお亡くなりになられました。
ご葬儀の時、悲しみとともに、小説ではなかったものの、なんとか間に合った、弟子として、作品をお見せすることができたかな、とも思いました。
漫画の世界に、山手先生や周五郎先生から学んだ時代小説の知識を持ち込み、キャラクターにくっつけたのも、ヒットにつながった要因だと思っています。
みなさんも、全く違う世界から、本格的な知識を持ってきて、作品の世界に突っ込み、キャラクターにくっつけてみてください。
それでは!
(次回、1月25日掲載予定です!)