(1)「なりたい!」ではなく「創り」が大事!
小池一夫です。
僕はこれまで40年以上にわたって、「キャラクターの創り方」を教えてきました。
劇画村塾、小池ゼミ、小池一夫キャラクター塾、キャラクターマン講座……合わせて40期。教えてきたのは一貫して「キャラクターはどうやって起てるのか」ということ。
その結果、漫画家やゲームクリエイター、小説家といったクリエイターがデビューしていきました。
みんな「漫画家になりたい」「小説家になりたい」と思って入ってきます。
でも、残念ながら、実際にはすべての人がデビューできるわけではありません。
「なりたい」というのは大事な気持ちですが、「なりたいだけ」ではだめなのです。
たとえば漫画の学校にお金を払って「入った」ことによって、自分も何か作家の一員になったような気がしてしまったり、あるいは、クリエイターの先生の講義を聞いて、なんとなくわかったつもりになってしまったり、満足してしまったりするのかもしれません。
小さなつまずきによって行き詰まって、諦めてしまったり、別のことに気が向いてしまって、気がつけばクリエイターへの夢も冷めてしまったり。
ほんとうに、そのような若い人を何百人と見てきたかわかりません。
では、僕の経験上で、どんな人がデビューできたかというと、一言でいえば、
「漫画を描かずにおれない人」
「小説を書かずにおれない人」
「キャラクターを創らずにはおれない人」。
言い換えれば、
「好きこそものの上手なれ」ということですね。
たとえば、もし独裁者が「漫画を描くな! 描いたら殺す!」といわれても、隠れて書いてしまうような人。
誰に言われるまでもなく「何かを生み出さずにおれない人」です。
常に、キャラクターのことを考え、いつも手を動かしている人。
そういう人がプロのクリエイターに向いています。
「自分のことだ」という人もいるでしょう。そういう人は最初の関門はすでに突破しているといえます。
しかし、そういう体質ではないけれど、やっぱりプロのクリエイターになりたい。
その場合は、それが第一のハードルとして立ちはだかります。
それでも、漫画家や小説家や、クリエイターになりたい。
そういう人は、どうしたらいいのでしょうか。
それならば、じょじょにそういう風に持っていくこと。
毎日、何かを創るくせをつけることです。
もう、わかりますね。この連載の最初の方に言いました。
「毎日、かならず一時間、机の前に座り、描く(書く)をつけること」
です。
あるいは、
「毎日3つのキャラクターの顔を描いてみよう」
です。
そうすることで、書く、描く、創る、手を動かすということを習慣づけることができるのです。
(2)必ずエンドマークをつけよう
第二の関門は「かならず書き上げる」ということです。
エンドマークがついていない作品は作品ではなく、永遠に「かきかけ」のままです。
逆に、どんなに下手な作品でも、終わらせることができたら、それは一つの「作品」です。
たまに、「自分の『○○サーガ』の第1章の冒頭です。このあと13章まで続きます」と、大長編のプロローグを「つづく」マークをつけて持ってくる人がいます。
もちろん頭の中に長大な物語があるのはかまいません。
しかし、人に見せる場合は、そのあとに続こうが続くまいが関係なく、その作品を一つの物語、「作品」として完結させるために、エンドマークをつけること。
「つづく」だと、作品として完結していないことになりますから、作品としての批評や評価の対象にはなりえません。
エンドマークをつけるというのは、本人のためにも重要なことです。
とにかく、書き上げること。
とにかく、完成させること。
たとえ、それが自分が全く納得いかないクオリティでも、とりあえずエンドマークをつけるところまで行けば、作品を書き上げたことには違いありません。
その達成感が、作者を次のステージにレベルアップさせます。
未完成でも一個の作品です。それに手を入れ、完成度を上げることもできますし、もう一度書き直すこともできます。
こんなことを言うと「自分は短編には興味がない。スケールの大きな物語を描きたいのだ」、という人もいますが、でも、よく考えてみましょう。単行本で何十巻も続くような巨大な物語も、基本的には小さな物語の連続にすぎないのです。
連載は、初見の人が途中から読みはじめても、その1回1回が物語として面白いという形がベストです。連載を目指す人は、大きな物語を小さな物語を連ねて描いていく手法を勉強しましょう。
前にもいいましたが、作品を描き上げるコツは、最初はスケールの小さな短編作品を創ることからはじめること。
たとえば、一つの謎(リドル)を用意して、主人公にそれを解かせることで、一つの短編ができあがります。謎とは文字通りの「謎解き」(リドル)でも、「事件」「問題」「トラブル」でもかまいません。
主人公が、ある場所を訪れて、あるリドルを解き(問題や事件を解決し)、その場所を離れる。それだけで短編になります。
すこし、話がそれましたが、まずは、作品を最後まで書き上げ、「エンドマーク」をつけること。
その第二の関門を突破しない限りは、誰にも「作品」を見てもらうことができないのです。
(3)「自分のダメなところ」を直視できるか!?
中国の兵法家・孫氏の「兵法」にこんな一節があります。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
敵の戦力や弱点(兵の状態・タイミング・地の利)を知り、
自分の戦力や弱点を知って戦えば、百回戦って負けることがない、ということ。
敵というのは、この場合「漫画家になる」ということ。
己というのは、「そのために自分に何が足りないのか」ということ。
目的達成に必要なことを知り、自分に何が足りていないのかを分析して、それを手に入れるための努力を惜しまないことです。
これが、第3の関門です。
これが、若い人の中には難しい人がいる。
「俺様は漫画の世界を変革する天才だ」
「俺様のすばらしい原稿を見たら、各社の編集者が争奪戦を繰り広げるだろう」
なんていう、根拠のない自信を持っている人がいる。
それが、本当に凄ければ、僕のところに来る必要はありません。
そういう自信満々の人の中には、全くの勘違いの人と、そうでない人がいます。
磨けば光るところ、いいところがある。
でも、今のままでは、その良さが、自分以外の他者に伝えられる技術がない。
そんな人はたくさんいるんです。
でも、そういう「いいところ」がある人たちは、第3の関門の前で挫折してしまうんです。
自分のどこが足りないのか、ダメなのかを、直視することができない。
それでは、この先プロとしてやっていくことはできない。
本当の「天才」でないとすれば、自分の至らなさ、あるいは「伝わりにくさ」を素直に認めて、それを改善できるフレキシブルさを持つことです。
これも話したかどうかわかりませんが、僕はプロとして独立してから、編集者とのやりとりの中で、4回書き直したことがあります。
4回目に持っていったら、「やっぱり最初のやつがいいね」といわれて、結局最初の原稿が採用になりました。
僕も腹が立ちましたが、そこで怒鳴って、椅子を蹴って立ち去ったら、一巻の終わりです。漫画原作者としての人生はそこで終わっていたと思います。
新人の場合、4回といわず、もっともっと「やりなおし」を求められることがあるでしょう。
そこで、くじけていてはいけない。
(もちろん、あまりにも編集者と意見が合わないということもあるので、その場合は別の道を考える必要もあるでしょう)。
編集者という関門を抜けるためには、何か図抜けた武器を持つこと。
魅力的なキャラクターや、表現力はもちろんですが、発想力、専門的・特殊な深い知識、広範な雑学や、独自の世界、哲学。これらは原作者の場合は特に重要です。漫画家も編集者もはるかに越えるズバ抜けた知識やアイデアがなければ、そもそも原作者に余分な原稿料を払う必要などないのですから。
編集者に「これはちょっと…」と言われた時に「じゃあ、こちらはどうでしょう」と、すぐさま対応できるアイデアの引き出しと、思い切りのよさ、臨機応変さを持つこと。
そこで「いや、これは○○なので、✕✕じゃないと」と、自分の考えを守り抜くことに意固地になってしまうと、門はいつまでもしまったままです。
紙のメディアの場合、編集者は、文字通り「ゲートキーパー」です。突破しなければデビューはありません。
現在ではWEB媒体からデビューという場合も多くなっています。そういう道を目指す人の場合は、第3の関門については、1人の編集者ではなく、たくさんの読者となりますが、突破しなければならない関門であることには違いがありません。
(4)おわりに
現在、キャラクターマン講座は、劇画村塾時代から連綿と続くキャラクターメソッド、もっと詳細な「プロのクリエイターになるための方程式」を教えています。もし、本気でプロを目指す気がある方は、門を叩いてみてください。
また、「漫画寺合宿」では、「3時間で小さな作品を完成させる」という実習トレーニングを行っています。小さな物語を創り上げることで、成功体験と集中力、物語作りのコツを身につけることができる実践の場です。
近々、時代劇のお話をする「小池一夫時代劇塾」という塾も実施予定です。
最後に、決して忘れてはいけない言葉を記して、この連載を終えたいと思います。
キャラクターが起っていれば、その作品は売れる
もし、創作の中で迷った時はこの言葉に立ち戻りましょう。
「キャラクターは起っているか?」
かならず、解決の糸口がみつかるはずです。
それでは!
小池一夫
(今回で、「キャラクターマンPIP! セカンドシーズン」最終回です!ご愛読ありがとうございました!)