(1)作詞家として
小池一夫です。
今日は、気分を変えて「言葉」について書きましょう。
僕は漫画原作者として、漫画の原作を沢山書きましたが、一方で、歌の歌詞もけっこう書いています。
『子連れ狼』がヒットして、その歌を作ろう、ということになり作詞をしたのが最初です。
『子連れ狼』は映画やテレビドラマになりましたが、実は、一番最初は「歌」から始まっています。ドラマも映画もないのに、ビクターから『子連れ狼』の歌を作って、橋幸夫さんに歌わせたいから、作詞してほしい、という話でした。
しかも、作曲家が吉田正先生。大作曲家です。
断る理由も無いので、「わかりました。書かせてください」と言ったのですが、当時は『子連れ狼』の他にも何本も週刊連載をしていましたから、原作を書くのに忙しくて、すっかり忘れていたんですね。
三ヶ月くらい経った頃、電話がありました。
「誰だろう?」と思って出ると「吉田だよ」って言うんです。
「どちらの吉田さんですか?」って聞いたら、「吉田正です。詞はまだですか?」って。
三ヶ月も経ってますからね、「できてない」とは云えない。咄嗟に「できてます」って言っちゃったんです。だって相手は日本一の大作曲家ですよ。(笑)
早々に電話を切ろうとしたら、今度は、「どんな?」って聞いてこられるんです。
でも、何にも書いてないって言えませんから、何か言わないと、と思って窓の外を見ると、雨がしとしと降っている。
「ええっと、始まりは『しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん』っていうんです」って電話で答え言たんですよ。
「それから?」
「続きは…『悲しく冷たい雨すだれ』…です」
苦し紛れですが、そこまで出てきたんで、それだけ伝えて「吉田先生、清書して送ります」って、ガチャっと切っちゃったんです。
それから一時間ぐらいでガーッと一気呵成に書き上げたんですが、「しとしとぴっちゃん」なんて曲にするのは難しいだろうなあ、どうやって曲にするんだろうと思っていました。
そしたら、子供のコーラスにしてきた。さすが、吉田正先生、大作曲家ですねえ。
この歌は、大ヒットしまして、その年の紅白で歌われました。後には映画やドラマにも使われたんですが、映像化よりも歌が先というのは珍しいケースだと思います。
続いて、東映から頼まれて、永井豪さんの『マジンガーZ』の作詞をしました。
なかなか良い歌詞が思い浮かばなかったんです。
熱海の海岸に小さな喫茶店があるんですが、その喫茶店から海を見ながらて考えていた時に、海から巨大な城がそびえ立つような幻のようなものが見えまして、「空にそびえるくろがねの城」と作詞しました。
前にも言いましたが、最初の発想のタネというのは、意外と他愛もないものです。
それから『電子戦隊デンジマン』『大戦隊ゴーグルファイブ』『科学戦隊ダイナマン』と戦隊ものの作詞、『電人ザボーガー』、同じ釜の飯を食べた仲間である小山ゆうの『がんばれ元気』の歌なども手掛けましたね。
(2)作詞とセリフはよく似ている
作詞というのは、短い言葉で表していくということでは、漫画の「フキダシ」の中のセリフによく似ています。
フキダシの中のセリフというのは、同じ意味を伝えるのであれば、短ければ短いほどいい。削ぎ落とされた少ない言葉で、読者に感動を与えるのが最も良い訳ですが、作詞もそれと同じです。短いフレーズでバシッと決まる言葉、自分でもしびれるような言葉を思いついたら、その作品は成功だと思います。
『子連れ狼』のラストで、宿敵・柳生烈堂が大五郎に言った「わが孫よ」というセリフ。これもとても苦労したセリフですが、今でも気に入っていますね。
今でも「本当に孫なんですか」と聞いてくる人がいますが、そうじゃなくて、恩讐を越えたということですね。
作詞をやりましたが、やはりどうしても勝てない、上には上がいると思い知らされたのが、作詞家の阿久悠(あくゆう)さん。
「あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります」
(作詞:阿久悠 作曲:小林亜星 1975年『北の宿から』引用)
という都はるみの『北の宿から』とか、
「上野発の夜行列車 おりた時から」
(作詞:阿久悠 作曲:三木たかし 1977年『津軽海峡・冬景色』引用)
という石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』など、彼の書いた歌詞を思い出してみると、短い言葉の中に色んなシチュエーション、ドラマが綴られています。
間違いなく、天才でしょうね。僕より年下ですが、早くにお亡くなりになってしまった。
多彩な人でした。作詞家として稀代のヒットメーカーであり、『スター誕生』という番組の中で多くの歌手をデビューさせもした。確実にある時期の芸能界は彼の手のひらの上にありました。漫画原作でも活躍しましたし、小説家でもあった。
阿久悠さんの歌詞からは、本当にいろんなことを学びました。
どうやったら、彼のような卓抜した言語感覚が身につけられるかと、ずいぶん勉強したものです。
言葉の感覚を磨くには、とにかく優れた言葉、面白い言葉、美しい言葉を読み、聞くことです。
小説や歌詞、詩、短歌や俳句。講談や落語、漫才、和歌。多くの人の言葉に触れ、「いいな」「これは!」と思った言葉や表現は書き留めておく。
芥川龍之介の小説の一節でも、ヘルマン・ヘッセの詩でも、杜甫や李白の漢詩でもいい。
なんでもいいから、自分が気になった言葉、気に入った言葉を集めておく。
すると、言葉のセンスを磨くことにもなりますし、作品の中で使うことができる。
「アリステア・マクリーンは言った。空は青いと思われているが、その空の上には暗黒の宇宙が広がっているんだ」
「深い霧の中、どの木も隣の木を知らないとヘルマン・ヘッセは言ったけれど…」
みたいなことを、キャラクターに言わせることができる。
もちろん、これはパクリではないですよ。
「自分はこんなことを知っている」と自慢したいわけでもない。
ここぞというところで、他の人の言葉を引用することで、世界が深みを増す。
引用した作品が持つ豊穣なイメージ、思想、作品世界、雰囲気などを、一瞬にして自分の作品の世界に引き寄せ、作品世界の存在感やリアリティの強度を増すことができる。
「言葉の使い方」を知っている作家は強いですよ。
ヒットを飛ばしている漫画家は、絵のセンスもそうですが、やはり人の心を震わせる、言葉選びのセンスを持っている。
逆に、読書量の少ない、言葉を知らない漫画家は、人の心を震わせる短くて効果的な言葉を吹き出しの中に書くことはできない。
(そして、そういう作家は、物語作りにおいても、行き詰まってしまうことが多い。「過去の膨大な遺産」を取り込んで血肉にしておかなければ、ストーリーテラーにはなれない。)
いくら絵が上手くても、「言葉の効果的な使い方」を知らなければ、一人ではヒット作を生み出せないんです。
小説家や脚本家を目指す人はもちろんですが、漫画家志望の人の中には「言葉」に対する意識がさほど高くない人がいて、それが明暗をわけてしまう場合があるということを肝に銘じましょう。
漫画では、言葉は画とともに両輪の一つです。もし、ヒットする漫画家になりたいのであれば、作画のセンスと技術とともに、優れた詩人に匹敵する言葉のセンスと技術を持ちたいものです。
「漫画家は詩人でもあれ」。
ということです。
「詩人」というと、現代の日本では空想的で現実ばなれしたメルヘンチックな「ポエム」を書いているような、ネガティブなイメージを持つ人もいるかもしれませんが、元来詩人とはそうではありません。
「言葉」というものに対して、求道者のようにストイックに向かい合う人のことです。
「詩人」という漢字を分解してみましょう。
「言」「寺」「人」……組み合わせを変えれば「言」「侍」になります。
「言(ことのは)の侍(サムライ)になれ!」
ということです。(あくまで、僕の考えです)。
日頃から多くの言葉に触れ、真剣に言葉に向き合って、感覚を研ぎ澄まし、一言で相手の心を動かす「一撃必殺」の言葉を繰り出す力と技を身につける。
そんな言葉を、フキダシの中に書けるようにならなければならないのです。
そのためには、言葉の武者修行が必要です。過去のすぐれた詩人や作詞家の仕事を学ぶことは、大いに役に立つことでしょう。
それでは! みなさん、良いお年を!
(次回は、2017年1月11日掲載予定です!)