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待望のドラマ化!『東京タラレバ娘』はなぜアラサーに人気なのか!?

待望のドラマ化!『東京タラレバ娘』はなぜアラサーに人気なのか!?

2017年1月18日


いよいよ全アラサ―女子が阿鼻叫喚の必死の話題作『東京タラレバ娘』が1月18日(水)より、毎週水曜日22時より日テレ系列で放送が開始!
主演は、吉高由里子。大島優子、榮倉奈々の2人が脇を固めるがこの3人もリアルアラサー。そして、主題歌の「TOKYO GIRL」を歌うPerfumeの3人もアラサーという謎のこだわり。
今回は、アラサー女子の視点で『東京タラレバ娘』がなぜ人気なのかを探ります。全アラサー必見のレビューです!
あなたもこれを読めば、ドラマだけでなく、間違いなく原作に手を出しちゃう!?

 

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30代という年齢は、過去と未来の「タラレバ」が同量くらいになる時期なのだろうか。
「あのとき、あの男の告白をうけていたら」「もしも、あの時付き合っていたバンドマンを、売れてないという理由で切ったりせずに結婚していれば、自分は今頃幸せな奥さんだったかもしれない」という、過去の選択肢への「タラレバ」と、「もっと自分を磨いて綺麗になったら結婚できるかもしれない」「あの男のことを自分が好きになれればうまくいく」という、未来の妄想に対する「タラレバ」。
10代では過去が少なすぎるし、20代はまだ希望の未来が多い。しかし、そうして、特に根拠の無いタラレバ話に興じているとすぐに40代、未来予想図のあり方はぐっと減ってしまい、タラもレバもへったくれもなくなる現実がすぐそこに迫っている……。そんな、身も蓋もない30代の恋愛や仕事つまりは人生のあり方を描いた、「殺傷力の高い」漫画が、東村アキコ氏の『東京タラレバ娘』である。

近年世に溢れまくる、「行き遅れおばさんファンタジー」(30歳を過ぎてなお処女が突然、年下のイケメンや年上のナイスガイにモテはじめて困っちゃうとか、仕事だけに生きてきたキャリアウーマンの元にある日若いイケメンが言い寄るとか)に食傷気味の昨今。
「日本中の夢見るおばさんに少女漫画みたいなドラマを提供するのがアンタの仕事?」「もう女の子じゃないんだよ? おたくら」「同世代がニートかフリーターばっかの今の若い子は、そこそこ金を持っている見た目が全然冴えないおじさんにまで群がるので、仮におじさんらの中に好きになれる人を見つけても、ライバルは可愛くて若い女の子たちだから、30代の自分らはもう「お呼びでない」」「戦力外通告」など、女の幻想を容赦なくバッサバサと斬っていく台詞や展開は、「アラサー殺し」ではあるものの、いっそ痛快さを見出している人も少なくないだろう。
自分が誇りを持っていた仕事まで、若くて才能のある子にどんどん奪われたり、嫁と別居中と言っていた不倫男の妻のFacebookを見たら、妊娠で里帰りしていただけだったり、元カレ(現セフレ)が「今の彼女は話も合わないしモデルでぜんぜんごはん食べないから、君と出かける方が愉しい」と言ってくれた直後に、「君にあげたいものがある」と、コロコロを手渡されたり(浮気後の髪の毛掃除=証拠隠滅用)、モテない女のドリームをズタズタにする救いの無さは、冴えない人間の縋る「いつかどこかのファンタジー」願望が嫌いなある種の読者たちから、むしろ、「よくぞ描いた!!」と、拍手喝采を浴びているに違いない。『東京タラレバ娘』では、芸能人というステータスを持ち若いイケメンであるKEYという、従来の作品であれば、「甘いロマンスの相手」として登場する人物に、「アラサーへの容赦ないツッコミ役」を託しているのが、面白さではあり、かつ、我々は、この仮託にある意味「安心」出来る。大多数の人は、現実世界では、「行き遅れ少女漫画脳おばさん」に上から目線で突っ込んでも、<許される>超越的な立ち位置とスペックを持っていやしないからだ。(だから、「何様?」って言われちゃうわけ)

という痛快さもありつつ、実のところは、『東京タラレバ娘』の魅力は、「セックス・アンド・ザ・シティ」の系譜というか、不安で孤独な私たちが真に必要としているのは、実は<少女漫画脳の夢見がちおばさん用>の都合の良すぎるイケメンではなくて、痛い自分と似たような境遇を共有し、惨めな自分を曝け出し、みっともない経験を開示でき、自らを認めてくれない世の中や男への不満を共に叫び合い、辛いときにはすぐに駆けつけてくれ、チャンスを掴み取れそうなときは喜んで協力してくれる、「女ともだち」なのかもしれない。
だってそれは、というより、「それも」、本当は、フィクションの中にしかないから。実際のところ、私たちは『東京タラレバ娘』を読むとき、そんな理想の、「女ともだち」を主人公達に見出しているのではないか。

フィクション世界の「結婚できない女」は、大抵、「美人だけど仕事にかまけているうちに」みたいなキャリアウーマンと相場が決まっているけれど、そんな奴ってこの日本に何人いるの。だって、世の中の「働く」女性の半分は、非正規労働者であるわけだし、当然安定もせず、「仕事にかまける」ほどの仕事もしていないし、お金もないし、お金もないからドラマみたいに毎晩集まって飲み歩いたりなんて絶対できない。
一般的には、まだまだ男が働くのは当たり前で、その評価される物差しは「金と社会的地位」のみである。そして、金と社会的地位は大抵リンクしているし、何なら既婚と未婚、女性経験のあり方すら、見事に「金と社会的地位」に比例している。女の場合はそれが複層的で、年齢、容姿、既婚か未婚か、また、自分がどうこうだけでなく捕まえた男のスペックが女の価値という考え方もまだ根深い。どんな仕事をしているのかしていないか、正規か非正規か、子どもはいるかいないか、結婚して仕事をしているか辞めて主婦になったか、結婚していなくてどんな仕事をどのようにしているか……と、その多すぎる選択のあり方で、<生き方>や価値観がくっきりと分かれていってしまう。分かれていったかつての、「女ともだち」とは、多くの場合、話が合わなくなる。完全に自分と似たような境遇を共有できる「女ともだち」というのは、年をとるごとに、どんどん減っていってしまう。

更に、『東京タラレバ娘』でも、登場人物が「女の人はFacebookに良いことしか書かないから」と言っていたように、SNS、たまにある女子会、どうしても、だって幸せそうって思われたい?「自分の方が幸せ」アピール合戦になってしまいがちではあるが、上記のように、選択肢が複層的で、何かがどうあればどう(金を持っている奴が勝ち)みたいな単純評価ではなく、トータルとしての「総合評価」となりがちな女性らは、ゆえに、「何を以て勝ちor幸せとみなすか」という価値観も往々にして各々異なってくる。なので、相手に自分の方が幸せということを認めさせるために、「えー○○子どもいても仕事続けるんだーすごーい、私には出来ないなー、うちは子どもの習い事とかおやつ作りとか部活だけで手いっぱいだしダンナが、子どものためにあたしには家にいて欲しいってー」(=旦那の稼ぎだけで生活できないアンタは可哀想)、「いやー、●●君も子どもの面倒見るの好きだしさー、仕事もどんどん案件がわいてきて区切りのいい時って全然ないから中々タイミングがね~」(=ろくな仕事もできない上に、女だけに子育て押し付ける夫持っちゃって可哀想) ときには、自虐風、愚痴風、相手を持ち上げる風を巧妙に駆使した、マウンティングの攻防戦にも発展したりなどして、現実には、「いい年して結婚相手の見つからない自分」「男にコケにされた惨めな私のエピソード」を素直に共有し笑い泣き合える「女ともだち」って、なかなかいない。うっかり何か開示すると、どこからマウンティングが飛んできてHP(ヒットポイント)を削られるか分からないからだ。

本を読むとは、対話であると言ったものだけれど、『東京タラレバ娘』を読んでいるとき、気の知れた女ともだちと、お喋りしているような、自分の惨めな話を聞いて貰っているような感覚に陥る。一巻での主人公のエピソード、「昔、好きだと告白してきた男がまだ自分に好意を持っているとばかり思い込んで、高額武装したおめかしをしていったら、そいつが好きなのは、自分の若いアシスタント(19歳)の方だった」なんて、相手の男を舐めてどうせ自分のことが好きに違いないと調子に乗り、何なら「付き合ってあげてもいい」くらいの目線を持った風でいて、本当は自分の方がガツガツ行く気満々で気合を入れまくっていた、なんて自意識の恥ずかしさと、そんな自意識と思い込みが木っ端微塵にされた惨めさ、普通だったらなけなしのプライドが邪魔して到底、他人には話せないが、しかしもやもやした気持ちは残る。こんなことがあった!!と思い切って話すことができたら、どんなにかいいだろう。主人公は、躊躇いなく女ともだちに話す。話して、「日本の男はみんなロリコン」「振られろ!!」と、欲しかった言葉を言ってもらう。登場人物たちに自らを仮託する読者たちは、そうしたやり取りを読みお喋りの疑似体験をすることで、自らの抱えるもやもやを「浄化」しているのではないか。

全巻を通して、「そうやって女同士で楽しく、全てをふざけてギャグにしていても何も解決しないんだぞ!!(どころか年ばかり食ってどんどん状況が悪くなっていくだけ)」わかっているか!?現実と向き合え!と喝を入れるための作品ではあるのだけれど、そんなことが出来る「女ともだち」という存在こそがそもそも、実は我々が求めるがきっと手に入れられない理想のファンタジーかつ、主人公らが抜け出せない居心地のいい女世界を作者が描いていることが逆説的に、良くも悪くも『東京タラレバ娘』の大きな魅力となっているのではないだろうか。
(筆:編集部K)