「動画」の勢いが止まりません。
音声に合わせた15秒程度の動画を共有し、コミュニケーションをとる「Tik Tok」の勢いを多くのひとが実感していることでしょう。
2017年に初めて「子供のなりたい職業」上位となった「YouTuber」は、コンテンツそのものよりもその収入、フォロワー数、案件ごとの収益性が話題に上がりやすくなっています。
そして「17Live」、「SHOWROOM」、「Pococha」などのライブ配信アプリ市場は、未だにどのアプリがその王者になるか決まりかねている、戦国時代のような状況です。
これらに代表される動画コンテンツが、インターネット上を暴れまわっている原因は「スマホによって、発信も受信も容易になったこと」と「インターネット回線の高速化&低料金化」というインフラ面での要因が大きいです。
これらのインフラに支えられた上述のアプリなどは、積極的にプロモーションを仕掛けることで、いま、若年層の関心をテキストコンテンツ消費から動画コンテンツ消費へと大きく移行させることに成功しています。
テキストコンテンツはなくならないが、相対的に弱者になる。
さて、冒頭で思いっきり動画コンテンツの波について煽りましたが、だからといってテキスト(文章)コンテンツが消えて無くなる、というような意味ではありません。
テキストコンテンツと動画コンテンツには、消費スタイルに明確な違いがあります。
大きな違いは「学習にはテキストが適している」、「エンタメは動画が適している」と言うことができます。
テキストの動画に対する最大の優位性は「情報収集の効率性」です。テキストだと検索しやすく、必要な情報にすばやくたどり着けます。おなじ1分なら1分で知りたい情報量の密度が、動画に比べてテキストのほうが高いです。動画は「受け身」のメディアなので、どんなにこちらのモチベーションが高くても、説明のスピードを早めることはできません(倍速等にすることはできますが)。テキストコンテンツの方が学習や情報収集では有利です。
エンターテインメント的な文章も全く無いわけではありません。
「エンタメ的な文章」は世に多くありますが、書き手に高いレベルを必要とする割に、拡散性が低く、読者が増えにくいです。ここ数年での「面白い文章(面白い記事)」は、画像や色文字、大きな文字、長い空白、GIFなどを使用した「華美で装飾的な文章」です。華美で装飾的な文章であれば、いっそのこと動画にしてしまった方が、エンタメ性はグッと高まります。
そして、エンタメ性の高い動画の求心力は凄まじいです。
テキストコンテンツは、ちゃんと集中力を持って読まなければコンテンツを消化できません。一方、動画コンテンツはなにも考えず、集中せずとも、コンテンツを消化することができます。
YouTubeの「関連動画」を追いかけているうちに何時間も過ぎていた、という経験をしたことがある人は多いでしょう。
「高いエンタメ性」と「集中力がなくてもいい」という2つの強みがある動画コンテンツは、今後さらにインターネットの主役になっていくでしょう。
トップブロガーの10倍の影響力をもつトップYouTuber
さて、みなさんは「日本のツイッターフォロワー数ランキング」をご存知でしょうか?
1位はタレントの有吉さん、2位は松本人志さん、3位はきゃりーぱみゅぱみゅさん・・・と、タレントや歌手が続く中、7位には「YouTuber」のはじめしゃちょーさんがランクインしています。
そのフォロワー数は、なんと390万人以上。
しかも、はじめしゃちょーさんの主戦場である、YouTubeのチャンネル登録者数は683万人です(執筆時点)。
一方、「ブロガー」や「ライター」と言われる、テキストコンテンツを生産するインフルエンサーのフォロワー数を見てみると、各界のトップと言われる方でも20〜30万人程度です。
はじめしゃちょーさんに限らず、トップYouTuberは100万人を超えるフォロワー数を抱えている人が珍しくありません。
そしてフォロワー数はそのまま「広告費」に繋がります。
インフルエンサーをマーケティングに活用したい企業にとっては、より多くの消費者にリーチできるかが重要です。
「YouTuberのフォロワーは子供ばっかりでしょ」という意見もあります。
それはひとつの真実ですが、10才の子供が20才になったときに「10年前から好きなYouTuber」の広告効果は絶大です。
10代から発信する習慣のつく動画共有とライブ配信
YouTuberの脅威も凄まじいですが、さらに大きな波が「Tik Tok」と「ライブ動画配信」です。
簡単に動画を作って共有できるTik Tokでは、数万フォロワーを獲得する10代女子が日々量産されており、そこに投下される広告費も数万円から数十万円に上がり続けています。
また、17Live、SHOWROOM、Pococha、ふわっちなどのライブ配信アプリやゲーム配信ができるMirrativなどのアプリを観察していると、配信者、閲覧者ともに低年齢化が進んでいます。
10代の少年少女が、自分の顔をインターネット上に晒してハキハキと話し、リアルタイムにコミュニケーションをとり、換金可能なプレゼントやアイテムをもらいながら、その一つひとつにお礼を言う姿には、新しい時代の波を感じることができます。
動画をアップしたり、ストリーミング配信をするための機材的なコストや精神的な抵抗は下がり続けています。
5年、10年後には、いまTik Tokやライブ配信アプリを使いこなしている層が、配信者として我々と同じ場所で戦うことになります。
その時でも、僕らは相変わらずテキストコンテンツだけの発信を続けてよいのでしょうか?
僕はそうは思いません。
いま続けているテキストコンテンツでの発信も続けながら、動画文化へも徐々に適応することが、ダーウィンの言葉にある
「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。」(『種の起源』より引用)
を体現することになるのではないでしょうか?
藤沢篤
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