まだ学生だったころ、ひそかに憧れていた人がいた。
彼はひとつ年上の先輩で、輪の中にいてもいつもどこかひとり切り取られたような雰囲気をまとっていて、それなのに、ふいに目が合うと目尻に数本シワを寄せて笑い返してくれるような、そんな人だった。
登下校でもときどき一緒になった。決まった時間に、決まった道を通って登下校するのが常という彼だったから、わざと私が先輩にあわせて、「ときどき」をよそおっていたと言ってもいい。
電車の中でも歩いていても、先輩は本を読んでいた。すこしの雨なら傘なんてささず、本が雨粒に濡れてしまうことにも気を止めない様子で、静謐(せいひつ)さをもって、本を読んでいた。夢中で、という印象ではなく、静謐、という言葉がにあう本の読み方を、彼はしていた。
いちどだけ、先輩の部屋に遊びにいったことがあった。文化祭の役割で、私たちは偶然同じグループになった。グループの皆で、先輩の家に行って準備をすることになったのだ。
部屋にはおおきな本棚があった。彼の性格をあらわすように、本たちは清潔に整えられていた。そのなかでひときわ目立っていたのが、ずらりと並んだ赤い背表紙の文庫本だった。
「赤背、って呼ばれてるんだ。それ」
私が気を取られているのに気づいたのか、先輩が小さな声でささやいた。それだけで、そのあとは、なにも言わなかった。
いけないことだと分かっていながらも、その日、私はこっそりと、先輩の本棚に並んだ“赤背”のなかから一冊を抜き取り持ち帰ってしまった。
それが、片岡義男さんの小説との出会い。
そんなにも大胆な行為ができたくせに、じっさいに、その本を読むことは、なかなかできなかった。どれくらいの日が過ぎたころだっただろう。たしか、先輩にはずっと前から付き合っている恋人がいたということを知ったあとだった気がする。
そのときに読んだ物語がどんな内容だったのかは、正直あまり覚えていない。それくらいの衝撃があった。けれど、ひとつだけ、つよく残っている感覚がある。
——とどかない。
先輩はこんなものの見方で世界を見ていたのかと、思い知らされたのだった。
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「片岡義男さん、今年、作家デビュー40周年を迎えるんですよ」
B&Bの定例ミーティングで、スタッフのひとりがそんなことを切り出したのは、2014年の新春のことだった。
「木村さん。イベント企画、してみませんか? 刊行記念という単発イベントではなくて、もっと深く、片岡義男という作家について掘り下げられるような連続企画を」
いったいなにをどうしたらいいのか。なにからはじめたらいいのか。どう組み立てたらいいのか。いつもどおりに、ひらめかない。それはそうだ。片岡作品にどうしようもなく惹かれながらも、その理由を明確に説明できたことが一度もなかったのだから。けれどそんなとき、ひとりの人物が浮かんだ。その人は川﨑大助さんという作家で、私が知る中で最も、片岡義男さんという作家に精通している人だった。彼に、頼ってみようと思った。
片岡義男を語るに欠かせないテーマとは? お相手に迎えるゲストとは? などを持ち寄り、川﨑さんと打ち合わせを重ねていった。今回の原稿のためにメールの履歴を振り返ってみたら、最初のメールの日付は2014年2月17日になっていた。第一回目のイベントが開催された4月26日まではほぼ毎日、最終回となった9月13日までと考えれば半年以上、“トークテーマ:片岡義男”で、蜜に連絡を取り合っていたことになる。
「下北沢」「マガジンハウス」「ポパイとファッション」「チープ・シック」「音楽と音楽書」「晶文社、ワンダーランドと宝島」「日本語と英語」「翻訳と小説」「“赤背”時代の片岡作品」「60年代の“テディ片岡”時代」……。
やりとりを重ねるうちに、次第にテーマがはっきりしていくのはとても刺激的だった。川﨑さんにみちびかれるようにして、片岡義男という存在が、私の中でどんどん立体化していくのは快感だった。
そして全6回のラインナップが整っていった。
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2014/4/26
片岡義男×西田善太×川﨑大助 ~作家デビュー40周年記念~「片岡義男と週末の午後を」 vol.1「1981年『片岡義男とつくったブルータス』」
2014/5/24
片岡義男×堀江敏幸×川﨑大助 ~作家デビュー40周年記念~「片岡義男と週末の午後を」vol.2「堀江敏幸が探る、片岡義男の頭のなか」『ミッキーは谷中で六時三十分』刊行記念
2014/6/28
片岡義男 ×大竹昭子×川﨑大助~作家デビュー40周年記念~『片岡義男と週末の午後を』vol.3「「撮る人」と「書く人」が重なる場所~写真から探る片岡流小説作法~」
2014/7/19
片岡義男 ×鴻巣友季子×川﨑大助 ~作家デビュー40周年記念~ 『片岡義男と週末の午後を』 vol.4「英語と日本語、翻訳という作業」
2014/8/23
片岡義男×小鷹信光×川﨑大助 ~作家デビュー40周年記念~『片岡義男と週末の午後を』 vol.5「70代の翻訳手習い~小鷹信光と探る、翻訳ミステリについて~」
2014/9/13
片岡義男 × 町山智浩 × 川﨑大助 ~作家デビュー40周年記念~『片岡義男と週末の午後を』vol.6「語りつくせ越境文化!〈神保町カリフォルニア急行〉」
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まるで奇跡のような演出がかなった。
そして私は、半年間、一ヶ月に一度、片岡義男さんと週末の午後を過ごすこととなった。あのころの自分が知ったら、なにを思うだろうか。
第二回目のゲストとして出演してくださった堀江敏幸さんは、「吉祥寺でコーヒーは飲まない」(『ミッキーは谷中で六時三十分』収録)を例にあげてこんなことを語った。
「“というアイディアの是非を、アンナは自分に問いかけた。問いかけるまでもなくすでに答えは出ていて、それは次の行動に直結した。”というこの文章。これこそが片岡文体なんです。作中の人物の問いかけの角度、アイディアを処理する時の温度と、片岡さん本人が世界に向けるまなざしとが常に一致しているんです。こういった文章を身体に入れると、景色の見方が変わってくる。認識の回路が作り変えられるんです。片岡さんが書き続けてきたものは分類不可能な文章だったと感じています。片岡さんが書くことで、媒体や読者に変動が起こる。その効能に世間がやっと気付き始めたんでしょう」
片岡さんは無意識だと笑っていたけれど、私はそれを聞きながら、長年の靄(もや)が晴れたような気がしていた。片岡作品が、だから好きなのだと今ははっきり言えるようになった。とどかないままだった先輩にも、いまさらながら近づけた気がした。
イベントを企画できて本当に良かった。
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イベントがすべて終わったのち、片岡さんからお食事に誘われた。片岡さんと、イベントをかたちづくってくれたメンバーとともに、週末の夜を過ごした。
会も終盤にさしかかったころ。片岡さんは、デザートに注文したティラミスの皿を差し出して、言った。
「ひとくち、いかがですか?」
私がひと匙すくうようすを見て、片岡さんは確信を持って、こう重ねた。
「ああ、いいな。短編のタイトルを思いつきました。こういうのはどうでしょう。それは——」
一年後。2015年11月18日。片岡さんは、『この冬の私はあの蜜柑だ』という短編集を刊行された。そのなかに、聞き覚えのある題名を見つけた。
「ティラミスを分け合う」。
片岡さんのまなざしのなかに、映ることができた気がした。
(次回は、10月18日掲載予定です!)