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第4回 本のなかに流れる時間をそのままに

本屋B&Bスタッフ木村綾子の本の向こうに待つキミと

第4回 本のなかに流れる時間をそのままに

2016年10月18日

友人に仕事を依頼するには覚悟が必要だ。けれど、その覚悟を持ってでも一緒に仕事をしたいと強く思ってしまうような作品を、友人が作ったとする。それほど嬉しいこともない。
今回取り上げるのは、そんな覚悟を私に与えてくれた友人と、一冊の本と企画の話。

女優として活躍する酒井若菜ちゃんが、新刊を発売した。
『酒井若菜と8人の男たち』と名付けられたその本は対談本で、彼女が尊敬する男性との対談に、エッセイを添えた作品だった。
出演男性陣は、マギー、ユースケ・サンタマリア、板尾創路、山口隆(サンボマスター)、佐藤隆太、日村勇紀(バナナマン)、岡村隆史(ナインティナイン)、水道橋博士(浅草キッド)。ブッキングから収録の順番、編集構成まで、すべて彼女が手がけている。二段組で400ページ越え、大作だ。
この本に込めた思いは制作時から本人に聞いていた。相手と、文章と向き合う決意と熱意がどれほどのものかということも、彼女の人柄から伝わってきていたから、実際に一冊の本となって手元に届いたときには、少し泣きそうになってしまった。

若菜ちゃんとは、水道橋博士が編集長をつとめているメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』で、ともに連載をする仲だった。
はじめて会ったのは、2014年1月の暮れに開催された『水道橋博士のメルマ旬報フェス』だったから、もう2年と9ヶ月が経ったのか。
その日は挨拶を交わした程度だったけれど、その後すぐに「いまなにしてる?」なんてやりとりがあって、代官山蔦屋書店のカフェで待ち合わせて、お茶を飲んだ。
時間ができればなるべくひとりでいたいと思う自分が、自然とそうできていることが不思議だった。それをそのまま伝えると、「私もなんだよ」と若菜ちゃんは笑った。若菜ちゃんが笑ったあとで、ああ私は会ったそばからなんて失礼なことを告白してしまったんだ、とはたと気づいてしまったのだけれど、そこに後悔や動揺はまったくなくて、むしろ弛緩しきっていた。
お茶一杯を飲み切るくらいの時間を一緒にいよう。と言い合っていたのに、結局私たちは、もっとずっと長い時間を一緒にいたと記憶している。
話したいときだけ話して、黙っていたいときは黙っていた。それが一緒にできているような思いが確かになってきたころ、話したいときだけ話すことが、親密さをおびてきた。
年齢は一緒。性別も一緒。でも、育ってきた土地や環境も、してきた仕事も、出会った人も、違う。
でも、そのどれもが違っていても、折々で感じ取っていたこと。誰に間違っていると言われても自分が正しいと思ったから選んできたこと。自分でも間違っていると思ってもどうしようもなく捨てられなかったこと。従わなくてはならなかったこと。時局で言葉にできなかったからこそのちに弾けてしまいそうなくらいに膨らんでしまって、どうしたらいいのか持て余してしまっている過去。だから文章があることにどれほど救われたか——。
気がついたら互いに告白しあっていて、おどろいた。
若菜ちゃんか私か、どちらかがおどろくと、どちらかは安心した。そういうふうにして私たちは正式にはじまっていった。

思いがまだ残っている人と別れを決めたときのことを、若菜ちゃんに話した日を思い出す。
待ち合わせをして、行こうと思っていた下北沢の喫茶店の前まで行ったのだけれど、あと15分だけ開店まで早くて、そのへんに座っているのもアレだよねとなって、下北沢タウンホールで、話をはじめた。
話しはじめてしまったら、とめどなくなって、まわりにいる老夫婦や、ベビーカーに赤ちゃんを乗せたお母さんや、ひとりで新聞を読んでいるサラリーマンの気配もすべて、まあいっかと思ってしまって、したい話だけ、してしまった。若菜ちゃんに伝えているうちに、自分が考えていた道筋にあらためて気づくことができた。若菜ちゃんは、ただ聞いてくれていた。

下北沢タウンホールでの告白が終わって、喫茶店に向かうみちみちで、若菜ちゃんが口を開いた。
「さっき、“まだ”、って言ったよね?」
「まだ?」
「うん、“まだ”。って言った」
「別れを決めたんだって、私に話してくれて、でもその後で、その彼から、離れるのはいやだっていうメールがあって。それに対してあやこちゃん、「“まだ”、返事してない」って言った」
と、若菜ちゃんが言った。
「それは、もしかしたら返事しちゃうかもしれないって思ってるのかなあって」
と、若菜ちゃんが重ねた。
それで私は、もう返事をしないと決めることができた。

なぜ唐突に、若菜ちゃんと私とのエピソードを語ってしまったのか。その理由は、いま綴った時間と空気感そのものが、『酒井若菜と8人の男たち』の中に存在していたから。個人的なことをしゃべりすぎてしまったきらいもあるけれど、8人の男たちとの対談は、これからの読者のためにとっておきたいと思ったので、こういう手段を取った。
ゆるやかに流れる時間、心地の良い沈黙、本筋から脱線していくことさえ楽しみ合っているおしゃべり、言葉で確かめあわずとも互いが感じている信頼感。彼女の引き出す力、言葉の裏に隠した本音に気づく繊細さによって、相手がみずから裸になっていくような感覚……。そういったものが、文章で表現されていた。
そしてこうも思った。
酒井若菜は、気づく人なのだ。どうしようもなく気づいてしまう人。

今回の企画は、実は本ができあがる前から立ち上がり、若菜ちゃん本人と、どのようなことができるかと一緒に考えていた。
打ち合わせの初回は、先に綴った「下北沢の喫茶店」でおこなった。そしてその夜、奇跡が起こった。奇跡はそのままイベントというかたちになった。

2016/04/04
酒井若菜×竹中直人 「酒井若菜と9人目の男」 『酒井若菜と8人の男たち』刊行記念

リンク先の文章にある通り、『酒井若菜と8人の男たち』がもう少しで完成するというタイミングで、若菜ちゃんと竹中直人さんが再会したのだった。二人の親交について聞きながら、私の頭のなかには、すでにイベントのタイトルが浮かんでいた。
竹中直人さんが「9人目の男」として対談相手になってくだされば、この本が持つ空気感そのものを、お客さんに体感してもらえるに違いない。そしてその直感は、現実となった。

『酒井若菜と8人の男』とは、どんな本なのか?
もしも私がそう訊ねられたら、こんな言葉を与えるだろう。
————誰かがしまいこんだ本音に気づいてしまう人の日常は、たぶんきっとしんどい。けれど、そういう人がいる日常は、たったひとりの人にとって救いになる。

(次回、11月1日掲載予定です!)



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