プロのスノーボーダーであり写真家でもある遠藤励さんが、『inner focus:日本人初のスノーボーダーズ・ライフスタイル写真集』を発売された。
写真集は、人の手が入らない山岳域を意味するバックカントリーの世界と、雪や自然と向き合う意味、そして、滑りを追求する人々の姿勢を写した一冊だった。
はじめて遠藤さんにお会いしたとき、彼はこんな表現でもって、スノーボーダーのことを語ってくれた。
「真っ白な雪の上に思い思いにラインを描くボーダーたちの軌跡には、その人の生きざまそのものが映しだされるんです。それはある種、書家が白紙の紙に向き合う姿にも通じるものがあるような気がしているんです」
当初は、写真集の店頭販売について検討する面会だったのだけれど、彼のその言葉を聞いて、販売だけでなくイベントを企画したいと強く思った。
遠藤さんと面会する予定の少し前、書評家の豊崎由美さんのイベントが開催された。イベントを迎えるにあたって、豊崎さんから送られてきた招待者のリストのなかに、華雪さん、という方がいた。しかも彼女は「書家」と肩書きされていた。
私の祖母は書家をしていて、おばあちゃん子だった私にとって、「書」というものは物心つくころにはすでに日常としてあったものだったから、彼女に興味を持って、どんな方なのかを調べていた。
知るほどに彼女に興味がわき、華雪さんの著作である『書の棲処』を買い求めていた。彼女の綴る書と言葉を読み、すっかり魅了されていたのだった。
遠藤さんの話を聞けば聞くほどに、華雪さんの書と言葉が私のなかに色濃くあらわれていた。おおげさではなく、『inner focus』と『書の棲処』が通じ合っているように思えてならなかった。
『inner focus』に登場するプロスノーボーダー達は、滑りという自己表現をライフワークとして、日々追求しているいわば表現者だ。滑りで人を魅了し、それが仕事になる人たち。でも、滑りは写真や映像と一体となって初めて残されるもので、一体とならなかったり、あるいはふたたび雪が降れば、なかったものになってしまう。
いっぽうで「書」は、書けば残され、人を魅せることができる。けれど、反故になって残されなかったものだってある。いや、残されなかったもののほうが、圧倒的に多くあるに違いない。
雪山の真っ白なキャンパスも白い紙の上でも、フィールドは違っていても、一筆書きで描くラインはその人を表すものだと感じた。瞬間の表現と向き合って生きているふたりが、どんな事を考えているのか、それを聞いてみたいと強く思った。
そのようにして実現したのがこんなイベントだった。
2016/02/07 Sun
遠藤励×華雪 「スノーボーダーと書家が、白に軌跡を残すということ」 『inner focus:日本人初のスノーボーダーズ・ライフスタイル写真集』刊行記念
イベントでは、互いの作品をスライドで紹介しながら話をした後、華雪さんによるパフォーマンスがおこなわれた。
白い紙の上に、遠藤さんの撮影したボーダーの軌跡がうっすらと映っていた。筆に墨を含ませたあとも、沈黙はしばらく続いた。すっと大きく息を吸い、一筆目が置かれた。筆を持った腕を振り動かした軌跡が墨色になって残っていった。途端、筆が止まる。紙が引き寄せられ、くしゃ、と丸め、放り投げられた。また一枚、また一枚、くしゃ、くしゃ、と紙が幾度も音を立てた。もう残りがない。緊張感のある沈黙が会場に流れていた。あきらめるのか、どうするのか。誰もが目をそらさずに、白い紙をじっと見つめていた。そして最後の一枚に残されたのは、このような軌跡だった。
——雪。
*
雪という字は「すすぐ」と読むことを、最近知った。
雪は、降りしきって、いろいろなものを白く染めて、すすぐ。すすがれれば、染められた白はなくなって、もののかたちが再びあらわになる。
その限られた、すすがれる前の白いひとときに、人は何を思っているのだろう。あの日私たちが見たものは、なんだったのだろう。
いまでも興奮が、熾のように体のなかに残っている。
(次回、11月15日掲載予定です!)