何かに一途になるということが、僕の場合の創作の基本的な原理
――先生は以前に「漫画のキャラクターは自分の中にある要素を拡大解釈してつくっている」とおっしゃっていましたが、新作のキャラクターではどのような部分にそれはありますか?
うーん……、分かんないんですよね。テーマは「シンギュラリティ(技術的特異点)」という「人工知能が人間の能力を超えたせいで、人間の生活が後戻りできないほどに変容する未来」を扱ってるわけですが。主人公のお掃除ロボットが「私を探してくれ」って幻の女性の声に誘われて、その正体を探しに行くという構造の話です。これはある程度自分で計算して作り込んでいるんですが、前も同じ構造で描いていたことに最近気づいたんです。「小学五年生」で『ライオンは眠らない』って作品を子供向けに10年前連載していて。晩年のダ・ヴィンチが、サライという弟子を連れて放浪の旅に出る話なんですが、ダ・ヴィンチが夢の中で美の女神ミューズの「私を探して」という声を聞くんです。「あれ? 新作でもこの構造使ってんじゃん、俺!」って気づいて(笑)。これまでダ・ヴィンチは自分の中にミューズがいて、それに励まされながら美の女神に認めてもらうために創作をしてきたけど、晩年のダ・ヴィンチは創作のエネルギーが枯渇していて、そのミューズもいなくなっちゃったわけです。そしたら、夢の中でミューズの声を聞いて、旅に出るという……。

※『ライオンは眠らない』より
――そのあたり、先生にとって重要な部分となっているんですね。
僕の中に、ダ・ヴィンチのような美の女神を追い求めたいっていう欲望ではなく、あらゆる不思議にひかれる傾向があるということは、自分でも気づいてはいますが。僕も晩年のダ・ヴィンチ程ではないけど年はとっていて、僕の中では何か声を聞きたくて描いているんだなとは思いますね。どうしてそういうことを描きたいのかっていうのは……まあ、薄々気がついてはいるのですが、年寄りの作品だって思われそうであまり認めたくないですね(笑)。でも、いろんな作品を描いてきても、自分の何か根本になる仕組みのようなものからは逃げられません。何かに一途になるということが、僕の場合、創作の基本的な原理だと思っています。だから新作は、僕の一番人間的な部分を拡大解釈して描くことになるのかとも思っています。
――なるほど。そういった「何かを求める」という構造は、他の作品についても共通しているのでしょうか?
『F』について言うと、軍馬は家出同然でレース界に飛び込んでいったんですが、父親に認めてもらいたいという欲求は、若い頃の僕の中に勿論ありました。それを軍馬に置き換えたというところはあるんですが、父親に認めてもらいたいという目的だけで漫画家になったわけではありませんし。それだったら認めてもらった時点で漫画家をやめればいいわけですから。そんなことじゃなくて「創作をずっと続けて死んでいきたい」ということは、取りも直さず尽きない謎が、この世界を包んでいるということだと思います。
――最後に、先生の好きな漫画を教えていただきたいです。
萩尾望都先生の『10月の少女たち』という10ページに満たない短編作品が、心に残っています。カフェで女性が彼氏からプロポーズを受けているシーンから始まり、ひとりで散歩しながらいろいろ諦めなきゃならないことを数え上げて、家に帰り着き、電話を取って「結婚するわ」って言うだけの話だったと記憶してるんだけど、素敵な作品でした。萩尾先生は、いい作品いっぱいあるけどね。

※『10月の少女たち』(萩尾望都)
男くさい漫画を描いている割に少女漫画が好きで、大島弓子先生も大好きな漫画家です。あとは、この前『鼻紙写楽』で「手塚治虫文化賞」の大賞をとった一ノ関圭先生の絵はもう神様みたいに好きですね。でも、ホントのこと言うと「六田登」が……。
――少女漫画がお好きだとは意外でした! 最近読んだ本でおすすめはありますか?
紙、デジタルに限らず本は毎日読みます。僕の読んでいる本は雑多すぎて、おすすめするのは難しいですね。書評を書いた『チャイルド・オブ・ゴッド』のコーマック・マッカーシーは大好きで、全部おすすめですが、海外の作品ばかり読んでいるかと思えば、最近はまた車谷長吉を読み返しています。毒だらけの私小説なんですが、20年くらい前に『鹽壺(しおつぼ)の匙』でデビューした当時から好きなんです。
吉村昭さんも全部おすすめです。ラヴロックやプリゴジーヌのニューサイエンスを読んでるかと思えば、ひょんなことからランズデールにはまり、「このオカマのゲス野郎めーッ」とか毒づいて女房の顰蹙を買ったり、そんなこんなでまたしてもスティーブン・キングだったり。ちなみに今、読んでいるのは『ブルースの歴史』なんですが、これはおすすめできませんね、個人的すぎて。
ミラン・クンデラ、ギュンター・グラス、フロベール、メルヴィルに心酔、「いあ、やっぱり白鯨はいいなァ」とか「罪と罰は何度読んでも、面白くないぞ」とか。トニ・モリスン、レイモンド・カーヴァー、おお、すばらしい。
アメリカ南部を舞台にした『善人はなかなかいない』を書いたフラナリー・オコナーという女性の作家も好きです。彼女の作品に『善良な田舎者』という短編小説があって、とあるセールスマンが田舎で百科事典を売りに行くと、若い女性が出てきて、話しているうちに彼女が義足だってことに気づいて興味を持ちます。それで納屋に連れ込んで何をするのかと思ったら、義足を持って逃げていくっていうひどい話なんですが、小説としてすごく面白い。そのことについてオコナーは「あのセールスマンが義足を盗んで逃げていくなんて、それを書く3行前まで私は気がつかなかった」って言っています。「そう!創作ってそういうことなんだよね!」と、とても共感したりして……。

六田登(ろくた・のぼる)1952年大阪府生まれ。漫画家。1978年「最終テスト」が第1回「小学館新人コミック大賞」で特選を受賞し、漫画家デビュー。代表作に『TWIN』、『ICHIGO』(ともに小学館)などがある。1991年に『F―エフ―』で第36回小学館漫画賞を受賞。京都精華大学特任教授を退任後、デジタルプラットホームに情熱を燃やし、電子書籍でも多くの作品を出版している。現在、新作の制作に取り組んでおり、精力的に活動中。












