子供の頃に読んだ怖い漫画が今でも記憶に残っているという読者は多いのではないでしょうか?近年も数多くのホラー漫画が生まれていますが、今回はそんな日本のホラーマンガの礎を築いた二人のホラー漫画家にご登場いただきます。
お一人は『蔵六の奇病』や『地獄の子守唄』などを生み出し、”ホラー漫画の帝王”と呼ばれる日野日出志先生、もうお一方は『不思議のたたりちゃん』などで知られる”ホラー漫画の女王” 犬木加奈子先生です。
お二人は、この夏の8月3日から14日の期間、中野ブロードウェイ3階の「墓場の画廊」で『地獄のたたり展』を開催されます。
本対談では、『地獄のたたり展』のことや先生方のご作品の創作秘話、怪談話まで、あらゆることをお話しいただき、お二人の魅力がたっぷり詰まった対談となりました。今までホラー漫画を読んだことがない方や、あまり興味がなかった方もこの機会にホラー漫画の世界に触れてみてはいかがでしょうか?今まで見えなかった世界がきっと待っているはずです。
この日常って本当に正常なのかっていう問いかけが俺の漫画の基本
※画像は「死肉の男」より
――本日はお忙しいところ、どうもありがとうございます。改めて、自己紹介というかたちでお名前をお聞かせください。
(日野先生)私の名前は日野日出志。怪奇と血の匂いに取り憑かれた漫画家である。
(犬木先生)あっ、私ですね。私は、犬木加奈子です。ちょっとしばらくの間、と言っても10年近くですが、ほぼ姿を消しておりました。その前までは、一応ホラーの女王といわれて一世を風靡していました。体がね、最近トトロとか周りの教授に言われています(笑)
――ありがとうございます。では早速ですが、ホラー漫画を描き始めたきっかけを教えてください。
(犬木先生)ホラー漫画を描き始めたのはやっぱり、ずっと大好きだったからですね。子供の頃に楳図かずお先生とか日野先生とかを読んでて、それがもう怖くって、大好きで。楳図先生の作品は、単純にひたすら「怖い、怖い、怖い」って感じなんですけれど、日野先生の作品は、心をこう、えぐられるような感じなんですよね。でも、それは大人になってきてから、だんだんわかってきました。それこそ実像ホラー漫画っていわれるぐらい、もっと単純に子供だましで脅かしているのではなくって、本当にもっと深い深い意味があったんだなって。ただ子供にもなんとなくそれはわかるんだけれど、そこまでは行きつかないから、なんかやっぱこう、すごーく鋭い刃物で心の奥を抉られるような感覚です…。
(日野先生)今の話、記事になって読んだらね、号泣もんですよ。
――じゃあ、代表作の『死肉の男』を読んだら、さらに号泣ということで。
(日野先生)『死肉の男』は手短に言うと、最初真っ暗闇の中で気が付くんですよ、自分は誰だろうって、わかんないわけ。で、ただなんか異臭がしてるんだよ。で、洞窟を出ていって漁村に現れるんだけど、皆もう、えーって言って逃げていく。で、なんでだろうと思って、たまたまこういう商店みたいな全面ガラス戸のところに自分の姿がこうね。
(犬木先生)あ!なんか覚えてるなあ、思い出してきた。
(日野先生)うん。で、自身でそれを見てうわーってなるわけ。
(犬木先生)もう死んじゃってるんですよね、今でいうゾンビみたいな感じで。
(日野先生)それが大騒ぎになって警察に捕まって、それを聞いたある研究所の博士が引き取るわけ。で、そこでまあ、当然死人だよね、脈拍もないし、すべての生体反応がないわけだから。研究材料として、色々やられるんだけれどもそこを逃げ出しちゃうのよ。逃げ出す時に、人を突き飛ばすんだけど、その人が死んじゃうのね。で、警察にも追われることになって。逃げ回っているうちに、自分が何者であるか知りたくなるわけよ。だから本能に導かれるようにある図書館で過去の新聞を見るわけ。そこに「海洋冒険家◯◯さん遭難、行方不明!」って出てるわけ。それで思い出しちゃうのよ。嵐で結局ヨットがダメになっちゃって切れ端にこう捕まりながら、「あーもう自分はダメだ、これは無理だっ」て。ペンダントを持っていて、カチッて開けると父と母と妻と子供の写真があるんだけど、そのペンダントを飲み込むの。それで海へ沈んで行くんだけど、そこを思い出すの。そこで、「あの海洋冒険家のあの人だ」っていう事になる。
(犬木先生)わかるんだ! 身体が腐ってるから、わかんないと思ってた。
(日野先生)警察に追われて、最後撃たれてれるんだけど、それでもまだ生きてて。自分が何者かを思い出したんで、自分の家にいくんだよ、夜。そうするとガラス越しに家族がいるわけですよ、父と母と、それから妻と息子が。すると今更会うわけにいかない。もう死んだ者として。これは、章立てにしてあるんだけど。さらば「愛しき者たちよ」っていうタイトル。章立てで、父に対する思い、母に対する思い、妻に対する思い、で、子供に対する思い。「お前が成長する姿を見られなくて悪い」っていうようなことをずーっと書いて、去っていく。そこに博士たちが浜辺に、やってくるわけ。浜辺には、被ってたその全身のゴムが脱ぎ捨ててあるわけ。助手が、「先生、彼は一体どこへ行ったんでしょう?」って聞くんだけど、博士が「帰っていったんだよ、海へ」って答えるの。そこで、場面が変わるわけ。まあ深海にこう沈んでくじゃないですか。深海は真っ暗闇だよね、それはこうなんだろう、時空とかも全部乗り越えて宇宙と一体化するような、で例えば太古の地球とか色んなものがこう雑多に出てくるわけ。その中で意識がまたなくなるんだよね。見開きは真っ暗で「私は終わったのではない」ってなっていて、ラストはぱっと見開くとまっさらに集中線で「私は今はじまるのだ」ってセリフで終わるわけ。これは俺が30代後半で、酒の飲み過ぎと煙草の吸い過ぎで体壊した時に、本当に死ぬんじゃないかって思ったんですよ。体重減っちゃうし。そのことを元に描いたんです。その時に、死ってなんだろうって。般若心経のいう「色即是空、空即是色」ってやつ。そういうのを読んだ時に「ああ、これだなって」いうのがあって、それをヒントに作った作品。ファンレターで、「号泣しました」っていうのが来たよ。
(犬木先生)それなんの雑誌で発行したんですか?
(日野先生)これは単行本の書下ろしで、出版社はひばり書房。
(犬木先生)ひばり書房は良かったよね。
(日野先生)ひばり書房は、一切制約が無かったんですよ。好きに描かせてくれた。だから『地獄変』とか『赤い蛇』とか、普通の雑誌では描けない内容だから、どれだけ助かったことか。30代の頃って20代が終わって、自分のことを考えてたのね。まあ、自分1人で月1本30枚、それが限界なんですよ。それで1本描く、それでまた注文が来た時にじゃあ、月2本3本。そうなると、アシスタント使わないといけないわけですよ。それよりも俺は1本のほうが良いと思ったの。ちゃんとした、いいものを描いたほうが良いって思ったの。
――それって、いつぐらいのお話ですか?
(日野先生)俺が30代だから、1970年代後半かな…。全部自分の手ですけど。でも、漫画の世界はそうじゃなかったってことに気が付いた時には、もう遅かった。ほとんど雑誌からオファーがなくなってて。ひばり書房とか秋田書店とかで書下ろしはあったんですよ。だけどしんどいんですよ、年に2冊か3冊しか描けない。それを10年くらいやってたんですよ、それでさすがにもうくたびれてきて、もうこれ描いて辞めようと思ったのが『地獄変』って作品なんですよ。だから最後に読者に斧、あれは社会に対して、「俺がここにいるのにお前ら気がつかないのか?」みたいな思いがあったわけよ。
(犬木先生)迫力あるシーンでしたね、あれは……。
(日野先生)それで辞めようと思ったんですよ。そしたら、出来た本見たら、ああやっぱりダメなんですよね、辞められない。そのあとに『恐怖・地獄少女』っていう作品を描くんだよ。
――この話はどんな話なんですか?
(日野先生)これもやっぱりすごい疎外された双子で生まれるんだけども、化け物なんですよ、最初から。で、これ闇に葬られちゃうんです。ところがゴミの山に捨てられているのに、雷に当たって生き返って、ゴミの山で女王みたくなってくわけ、その中で。すると、すごいこうなんか神というか老婆が現れて、「実はお前には姉妹がいるんだ」って言うの。それがすごく今幸せな生活をしていると、それに比べてお前はこんなことになっている、と。で、お前がその家にいって、妹を殺せば入れ替わって幸せに生きる事が出来る、っていわれて行くんだよ。で、まあ警察に追われるわけですよ。妹の部屋に入るんですけど、妹の寝顔を見て、殺せないんですよ、これが。もう自分はこれで良いと、ゴミの山にもう1回戻ろうっていうときに、追ってきた警察に撃たれて、傷だらけになりながら、ゴミの山にたどり着くわけ。で、這いながら自分がねぐらにしていたところに向かっていって入るわけ。そこでまあ、死んでいくわけだよ。で、闇の中で死んでいく『死肉の男』とちょっとシンクロするんだけれども。それを老婆は馬鹿な奴だなあと。たった一度のチャンスをお前は逃したと。でも、少女は静かにそこでこう眠っていく。で、実に安らかに眠っていくっていう話なんです。これも号泣ものですよ。
(犬木先生)そうですね、すごい、すごい号泣もの。
――『サーカス綺譚』もそうですが、日野先生の作品って、生命の愛しさとか生への執着みたいなお話が多いように思います。
(日野先生)結局ね、ホラーって、映画なんかもそうなんだけど。こっち側に日常があって、向こう側にモンスターや悪霊がいますよね。で、絶対にこれを退治するんですよ。で、我々は普通に日常に戻って、映画館を出たときに「あー、よかった」ですよね。でも、そうじゃなくて自分の場合は、じゃあ疎外されるというか破滅させられる側のモンスターの気持ちってどうなんだろうって。ようするに、自分たちの日常に害になるから殺していくって、じゃあ、この日常って本当に正常なのかっていう問いかけが俺の漫画の基本には、まずあるって事なんです。
(犬木先生)モンスターの悲哀ですよね。でも、本当のところをいうと、嘲笑ってたり、忌み嫌う一般の普通の人のほうが、むしろ化け物のようであったり、鬼のようであったりっていうのがだいたい日野先生の根本にありますよね。
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