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「食マンガ」のパイオニア! 土山しげる先生が描く「食べる」魅力を大解剖!
2016年8月2日


今、食マンガ・グルメマンガが熱い! 『深夜食堂』や『孤独のグルメ』がTVドラマ化し、大ヒット。8月には「孤独のグルメスペシャル!真夏の東北・宮城出張編」が放送予定とまだまだ人気は続きそうです。『甘々と稲妻』や『花のズボラ飯』などの作品が、続々とTVアニメ化し、食・グルメをテーマにした「食マンガ」が、人気ジャンルの一つとして確立してきました。
今回は、「食マンガ」のパイオニアであるマンガ家、土山しげる先生にご登場いただきました。『極道めし』や『喰いしん坊!』など、食にまつわるマンガ作品を多く描いてきました。現在でも、『野武士のグルメ』や『勤番グルメ ブシメシ!』などの連載を抱えています。都内某所の土山プロダクションにお邪魔し、作品の魅力について伺ってきました。
魅力的な食べっぷりのキャラクターたちの描き方の秘訣や、食べることが大好きという先生の“食”の話も! ファンはもちろん、「食マンガ」好きは必見です。

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※『喰いしん坊!』より (c)日本文芸社

マンガを面白いと思えるから、僕は43年も続けてこられた

――本当にたくさんの作品を描かれてきましたが、土山先生といえば、「裏社会モノ」と、「グルメもの」のジャンルを描くマンガ家さんといわれているかと思うのですが、どうしてその作風を描かれるようになったのでしょうか。

土山 そうですね。23歳でマンガ家デビューして、43歳まではアクションものを描いていました。それこそ『極道ステーキ』『借王』など、そういう世界を原作付で。それはそれで人気もあったのですが、仕事を取りすぎて、過労で倒れたんです。それが43歳の時なんですけど。1994年当時は、まだマンガ業界に勢いがありました。アシスタントが8人いて、月に300ページくらいの量の原稿を描いていました。もう何を描いているのかわからないくらいの状況だったんですけど、それで倒れたときに「ああ、これはもう辞めよう」と思ったんですよね。医者もレントゲン見ながら「肺に危ないものが写ってる」と言ったんです。「これは、いかん。もうしょうがない」って言ってスタッフも含めて一時解散しました。まあ、その後に何人かには戻ってきてもらったんですけどね。
それで、3週間ぐらい入院していて、その時の病院食が、あまりにもマズかったんですよね(笑)。

――(笑)。

土山 冗談じゃなくて、本当にマズかったんですよ。塩分が少ないので、味も薄いんでしょうね。それでも入院して1週目は検査でおとなしくしていました。2週、3週と経って、そろそろ大丈夫だろうという具合にまで回復してきて、僕のカミさんに「ちょっと外でお寿司買ってきてくれ」と言って、こっそり病室で食べるなんてことをしていました。入院中に、広い面会室に行くと、みんな食べ物のことを話しているんですよね。みんなが僕と同じで、あれが食べたいこれが食べたいっていっていたんです。少し元気になってくると、なんだかそういう脂っぽいものが食べたくなるんですよね。とにかくカツ丼やカレー、ラーメンのようなジャンクな食べ物を、退院したら思いっきり食ってやろうと思いました。

――まさに、土山先生の作品『極道めし』につながってくるようなお話ですね!

土山 まさにそうですね。ちょうど「週刊漫画ゴラク」の編集長も見舞いに来てくれて、「元気になったらまた1本お願いします」って言ってくれたんです。「退院したら何をやりたいですか?」と言われて、僕は即座に「ラーメンを描きたい」と伝えたんです。そこが僕の「食マンガ」の原点になっています。
その「週刊漫画ゴラク」が、ラーメン屋に置いてある確率が一番高かったこともあって、編集長も「いいね」と言ってくれました。その当時ラーメンを題材にしているマンガ作品は、珍しかったですし。
さらにそれがきっかけになって1995年に連載が始まった『喧嘩ラーメン』は、1998年まで続きました。そこから、「食マンガ」の道を突っ走っております(笑)。

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――先生が1974年に「月刊少年チャンピオン」でデビューされてから、今年で43年目です。マンガ家になったきっかけを教えてください。

土山 金沢から大学入学で上京、卒業後は、普通に地元の金沢に帰って、サラリーマンになると思っていました。でもマンガが好きで、講義が終わると家に籠って漫画ばかり描いていたんです。それで一本描き終わると、やはり見てほしくなってくるんですよね。8ページくらいでしたかね。稚拙な内容だったと思います。それを、どうしても好きな先生に見てもらいたいと思って、『ワイルド7』の望月三起也先生に手紙を出したんです。今じゃ考えられないでしょうけど、当時は雑誌の連載マンガの脇に住所が載っていたんですよ。
望月先生から「じゃあ、日曜日に来なさい」と返事をもらいました。会いに行ったその日、何をしゃべったのか、自分ではなぜか覚えていないです。3日後くらいに電話がありまして「もしよかったらうちにこないか」と言われました。これはチャンスだと思って、二つ返事で、そのまま望月先生のプロダクションである「かえるプロ」に弟子入りしました。それが、大学2年生の時だったので、学校には退学届けを出したんですよね。親には内緒で決めていたので、かなり怒られましたね。親からしたら授業料払い込んであったわけで、そりゃ怒りますよ(笑)。

――デビュー前の当時のことを振り返ってみて、いかがですか?

土山 いまだに、どうして弟子入りできたのかわからないです。弟子の中でも僕が一番絵が下手だと思っているので、僕は(笑)。大学生だった時に、絶対にマンガ家になろうというわけでもなく、好きで描いていただけでしたし。
プロダクションには、ちょうど3年間いました。昔は、だいたい3年でプロダクションを出て独立しろと言われるんですね。ほかのみんなも3年で出ていました。
当時のプロダクションでの仕事は、望月先生がアメリカンコミックをお好きで、よく読んでいたみたいで、作品でも『ワイルド7』など、やはり武器の描写がすごく細かくて……。あの時はあまり資料も出回っていなかったので、いろいろな古本屋で探すことも、資料を見ながら描くことも大変でしたね(笑)。
望月先生はその時、『ワイルド7』と『突撃ラーメン』という2本の作品を週刊誌で連載していました。あと月刊誌も3本くらいありました。なので、弟子が7人もいたんです。すごいなあと思っていました。望月先生は50年以上にわたって、プロダクションで活動されていたので、弟子が全部で150人くらいいるんですよ。でも結局マンガ家になったのは、両手で数えられるくらいしかいません。デビュー作でつぶれてしまうことだってありますし、やり続けるということは難しいですね。本当に大変なんですけど、その大変さよりもマンガを面白いと思えるから、僕は43年も続けてこられたんだと思います。

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