

※画像は『極悪貧乏人』より
私自身がコンプレックスの塊
――KKベストセラー刊の『極悪貧乏人』は未完で終わります。この作品は、ファンの間で幻の名作と騒がれますが、こういった現象に対して先生はどのような感想をお持ちでしょうか?
柳沢 『極悪貧乏人』も自分の中では、多くの作品の中の一つの作品でしかありません。ですので、名作であるとか、特別におもしろい作品だったとは思ってもいません。多くの作品の中の一本というだけです。
自分だけかもしれませんが、作家というのは、自分の作品に対しては本当におもしろいかどうかなんて、まったくわからないのです。自分では気にいって描いていても、まったく人気が取れないなんてことも何度もありましたし、その逆で、こんなのすぐに辞めたいと思って描いていたのに、大ヒットになったなんてことも何度もあります。
――「さえない、モテない、金がない!」三拍子そろったダメ人間、貴島ですが、このようなキャラクターを生みだすときの作家の精神構造はどのようなものなのでしょうか?
多くの読者は認めたくはないでしょうが、文字通り貴島を己の分身として感情移入し、貴島の行動に一喜一憂し、作品世界にどっぷりとはまり込んでいったように思います。
『夜に蠢く』といい『極悪貧乏人』といい、このように読者代表のようなキャラクターを生み出し、またそれにエンタテイメント性を担保しつつ展開できる秘訣な何なのでしょう?
柳沢 私自身がコンプレックスの塊であるということですかね。それに尽きます(笑)。ですから、貴島のようなダメ人間が自分の分身として感情移入しやすく、また描きやすいのです。特に私自身の気の弱さには、自分でもうんざりしているくらいですので、そのうんざりさを作品で解消しようとしているんだと思います。
私のコンプレックスというのは年季の入った本物ですから、それが読者の抱えるコンプレックスと共鳴して、あるエンタテイメント性を担保できているのではないかと思います。


※『大市民』より
――これらの作品を通して読者に訴えたかったものがあるとするなら、それは何だったのでしょうか。
柳沢 読者に何かを訴えようというような気持ちで描いているのは『大市民』ぐらいです。最近は、『特命係長 只野仁』でも、けっこう自分自身の考えを訴えようとしていますかね。
ただ考えると、自分自身の弱さや、愚かさへの絶え間のない苛立ちから、逃れようともがき、あがくように、カッコをつけて言うなら、叫んでいるということなのかもしれませんね。
いつ頃からか、「自分の作品は音楽で言えばブルースなんだ! それでいけーっ!」と、紙に書いて仕事場の机の上に貼ってありますよ。
他のマンガ家があまりにもスゴいので、音楽に例えるなら豪華なオーケストラを自在に繰っている彼らなのですが、それに比べて俺は安ギターを一人で下手に弾いてるようなもので、「なんてダメなんだ」と落ち込んだ時に、自分で自分を勇気づけるためにふと思いついたのです。「いいじゃないか。自分は自分の持ち味でいくしかないよ」と慰めるためにですね(苦笑)。
――『極悪貧乏人』は、未完なわけですが、作家にとって未完ということをどのように受け止めていらっしゃいますでしょうか?
また、未完ということは、その時点での不人気作品であるケースが多いと思います。編集者から作品の終了を告げられた時の作家の気持ちはどのようなものなのでしょうか?
柳沢 マンガ家稼業をやっていて一番つらいのが連載終了を告げられるときです。それは、人気がなくなった上に、読者からも見捨てられたということになる訳ですから。つまり、ダブルでつらいのです。
ただ『極悪貧乏人』は、連載していた雑誌が廃刊になっての終了ですので、「人生は無常なり」と、只々諦めるしかなかったのです。
――今回、当サイトで『極悪貧乏人』の続編が連載される予定となっておりますが、再開後の展開について、差支えのない範囲内で教えていただければと思います。
柳沢 私は、描き終った作品は二度と読み返さない性格な上に、描いたそばから内容を忘れてしまうのです。ですので、『極悪貧乏人』も完璧に内容を忘れていますので、頑張って読み返して、一気にその世界に入り、乗りに乗って描こうと思っています!
>マンガの時代の隆盛期から、黄金期へと最高の時代を過ごせたのは幸せ












