10代で漫画家デビューしたいという思いがあった
――漫画家になろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
井上 漫画が好きだったからですよね。そういうのを大人に言うと「ひと握りの人しかできないからやめなさい」と言われました。やっぱり描くことが好きだったので、その時僕は京都で友禅という着物の図案の仕事をしていました。でも友禅など着物の図案師というのは、10年でやっと一人前という旧態然としたところがあったんですね。もうちょっと実力主義がいいと思って飛び出してしまったんです。当時僕も若かったので(笑)。
――デビューする前は、青柳裕介先生の下で修業されていたということですが、青柳先生は高知在住でしたよね?
井上 そうそう、1年半くらい土佐にいましたね。最初は、望月三起也先生のプロダクションに行きたかったんです。でも望月先生のところはスタッフが足りていたんですよ(笑)。それでたまたま高知の青柳先生がスタッフ募集してるから行ってみないかと紹介されたんです。次の日すっとんで行きました。行ってみたらちょうど青柳先生が自宅にいらっしゃらなくて。先生は、夏の間スタッフたちと山の中にこもって描いていたんですよ。まさに合宿しているんです。
それでとりあえず合宿してるところに連れていかれて、1週間くらい作業しましたね。青柳先生がスタッフに、「あいつと仕事できるか」って訊いていたそうです。その時にみんなが快く頷いてくれたので、仲間に入れてもらいました (笑)。
――原作付きのマンガを描かれているようになったのは、どうしてですか?
井上 僕は漫画家になると決めた時、10代でデビューしたいという思いがありました。10代だったらまだ若いから、ちょっと下手でも伸びしろでみてもらえるかなという打算もあってね(笑)。二十歳過ぎると一緒くたなので、競争に生き残れるのかなって不安にも思っていました。今となっては、19歳でなんとかデビューできて、本当によかったです。
――漫画家さんとしては、早いデビューじゃないですかね?
井上 いやあ、昔はもっと早かったんですよ。僕だけが早いわけじゃなくて、早い人は10代でデビューする人は多かったと思いますね。
――昔からマンガはどういうジャンルのものを読まれていたんですか?
井上 望月先生の大ファンだったのと、あとは、わりとアクション系のマンガが好きなので、モンキー・パンチ先生や、松本零士先生の作品を読んでいました。でもやはり望月先生が一番かっこいいと思いますね。
パーティーで一度だけお会いする機会があったんですよ。そのあとも「そんなに好きなら会わせてやるよ」って紹介してもらってね。今でも憧れの先生ですね。だから望月先生が亡くなられたときは、本当に悲しかったです。
現在、私は57歳ですけれど、もし仕事がなくなったら、望月先生に弟子入りしようかなと思ってたんですよね(笑)。ただ働きでもいいから、望月先生のスタッフを一度してみたかった。やっぱ描いているとこや生の原稿を見たかったですね。
ただ望月先生はずっとアナログだったので、僕、デジタルでしか仕事ができないから、先生のアシスタントでやることないかもって悩んでいました(笑)。













