人はいつ死ぬか分からない
—-もし、桜良のように余命一年と言われた場合、これだけはやっておきたいという事はありますか?
住野:遺作を残したいですね。一年あったらもう一作描けると思います。
例えば、死んだ後、パソコンに描きかけの作品が見つかって、最後を誰かに仕上げられるのは嫌です。せめてそれを書き終えて、パソコンをドリルで破壊して死にたいです(笑)。
浜辺:確かに、パソコンって見られたくないですよね。私は住野さんの話を聞いて、恥ずかしいですが、好きな物を食べるだけ食べて、死にたいです(笑)。桜良のようにどこかにいくわけではないです。お家に居て、近くのスーパーやコンビニで買って食べるか、通販で取り寄せます。出掛ける気には、なかなかなれないです(笑)。あとは、住野さんと同じようにスマホを破壊してから死にたいですね(笑)。
—-知人や友人がそういう重い病気の場合、【僕】のように「あと1年ぐらいで死ぬんだよ」って聞かされたらどうしますか?
住野:年齢は違うんですけど、ちょうどこの作品を書いている時に、凄く応援してくれていた親戚が余命宣告されました。もう何も言えないですよね。「来年は◯◯なんだろうけど、もう俺は、その頃いないけど」とか言うんですよ。誰も笑えないです(笑)。
その時の事を考えると、もし桜良みたいな子にこの病気を教えられても、【僕】みたいに、受動的みたいな事は出来ないと思いますね。本人の悲しみは自分には分からないって思ってしまいます。
—-執筆時、作品に影響はありましたか?
住野:影響はそんなにはなかったですね。『君の膵臓をたべたい』を書いていたら突然、電話がかかって来て、「膵臓がんらしい」と言われました。結果的には違ったのですが、そのような事もあり、ラストはああじゃないとダメだと改めて思いました。人はいつ死ぬか分からないっていうのを、約束されたラストじゃダメだと思った点では、考えを固めてくれたかもしれないとは思います。
—-もし浜辺さんが住野先生のように、身近な人が余命宣告されるような状況に置かれたら、どうでしょうか。
浜辺:多分、どれだけ大切で仲の良い人でも、私がずっと一緒にいていいのかって、凄く悩むかなと思いますね。本人に対して、何かあれこれやるのも、それが良いのか分からないです。最悪、一緒に居てあげる事は出来るとは思いますが、それでも一緒に居ても良いのと悩みますね。
—-そうすると【僕】は凄い存在なのでしょうか。「日常」を桜良に与えていますよね。
浜辺:でも、やっぱり仲が良くないのに「凄く◯◯だね」って言わない所は、【僕】の魅力だと思いますね。「可哀相だね」とか「辛いね」とか言わない点では、やっぱり特別で凄く魅力的だと思います。
住野:「共病文庫」を読む所までは、【僕】の感覚にモヤがかかっていると思います。現実感がないですね。僕、中学生ぐらいの頃に、「お前は親が死んでも小説の事と思って、悲しまなさそう」と親から言われた事がありますが、多分そういう感覚じゃないのかなと思いますね。【僕】は桜良の事も、人が死ぬ事もあんまり分かっていないです。だから、ホテルの鞄を開くシーンでショックを受ける。それでも、【僕】は桜良から逃げ出さないのが凄い奴だなあって思います。