本当に時間と心の整理が必要だった
― これまでの様子を振り返ってみて、これほど多くの方々に読まれている理由は何だと感じていますか?
若竹:東北弁の力強さなのかなと。私にとって、東北弁は郷愁を誘う言葉です。しかし、東北の土地に馴染みのない方も、標準語とは異なる風情を好意的に捉えてくれたのかなと思います。
また、このご時世「老い」は人ごとではなく、団塊の世代にかぎらず良くも悪くも関心を持っていますよね。「老い」に関するエッセイはけっこうあると思いますが、小説としてそれを取り上げたものは意外と少なかったんじゃないかなと、今となっては思います。
老いは悪いものではないし、孤独だって、悪いものではないんです。たとえば、「一人ぼっち」って言うじゃないですか。「ぼっち」って、つまり「孤独」のことですよね。「一人ぼっちでご飯を食べる」とか言うと、まるきり「寂しい人」と括られますよね。でも、一人でご飯を食べに行っても良いと思いますし、一人でご飯を食べに行くことを、大手を振って堂々とやれるような世の中になってほしい。
そうした「孤独」については、桃子さんの視点で訴えたつもりなんです。あと、「愛」についても、これが意外と曲者なんですよね。
母親が、子供よりも自分の方が大事というセリフに関しても、意外とそういうことをネガティブにとらえる風潮がありますよね。でも親が自分より子供が大事だと思うと、子供は自分の望みと親の望みをともに背負うことになってしまう。子供にとってこれは重荷だと思うんです。
これらは、私の経験の中で一つひとつ見つけたことなんです。それを直に言ったら角が立つけれど、物語の中なら、主張することができる。それらが重なって、受け入れられたのかなと思います。
― タイトル『おらおら』は、宮沢賢治の『永訣の朝』の一節を使ったものですよね。この一節を使おうと思ったきっかけを教えてください。
若竹:この小説は初め、『桃子さん』というタイトルでした。次に、『玄冬の女(ひと)』を経て、今のタイトルになりました。
文藝賞に応募した時は、『玄冬の女』というタイトルだったんです。しかし、『文藝』の編集長さんに「題名を変えましょう。」と言われました。それで、どうせだから方言を使ってみようかなと考え、『おらおらでひとりいぐも』に決めました。作品の中でも使っていますし、好きな言葉だったので。
今思うと、『おらおらでひとりいぐも』で良かった。『玄冬の女』や『桃子さん』だったらごく一部の人しか手に取らなかったかもしれません。
― 宮沢賢治の「いく」は、つまり「逝く」という意味だと思いますが、若竹さんのそれは「生く」という意味なのでしょうか?
若竹:「生く」と「行く」の意味があります。自分の意志を持って生きていく、進んで行く気概を持つという意味です。それは結局、「生き」るということでもあります。宮沢賢治の「いく」は、妹トシが死に瀕する時でも、恐れずにひとり逝くという意思が感じられますよね。「おらおらでひとりいぐも」という言葉の中には、そういう強さも込められています。
― 東北弁を多用している理由はなぜですか?
若竹:この物語は、桃子さんの脳内の話です。物語は桃子さんという登場人物の脳内の会話で成り立っていて、その会話を生き生きさせるためには絶対方言が良いなと。方言を使った方が言葉に臨場感を生み出すことができて、表現としてもダイナミックになると思い、最初から東北弁を使おうと決めていました。
― 東北弁を使う時に気をつけたことはありましたか?
若竹:桃子さんの脳内の会話は東北弁で、話を進めるナレーションは標準語を使いました。そうした使い分けをするなかで、東北弁の意味が読者に伝わるように標準語での説明をどのくらいいれるか、また、文字でその方言の抑揚までは伝わらないと思うけれど、書いた文章を声に出して読みなおしたりして、ある程度はリズムでその言葉の表している意味が伝わるように工夫しました。
― この作品の中で一番大切にしたことや意識したことを教えてください。
若竹:これは桃子さんの脳内の物語であり、つまり柔毛(じゅもう)突起の話なんです。
絨柔毛突起を使ったのは、脳内の話をよりイメージしやすいようにしたかったからです。頭の中でイソギンチャクのように有象無象の桃子さんがいて、時にそのうちのひとつが膨張して大声で喋ったり、みんなで騒がしく合唱したりする。そうした形を与えた方が読者はイメージしやすくなるのではないかと思いました。それぞれの柔毛突起に特徴を与えるべきかどうかなど、いろいろ考えたんですけど、でも、そうはせずにのっぺらぼうな存在の方がいいかなと思って、今の形になったんです。結果的にはそれで良かったと思います。
― テーマが「孤独」や「老い」というお話をお伺いしましたが、若竹さん自身の実体験を反映しているものはありますか?
若竹:誰しもある程度はそうだと思うんですけど、桃子さんが頭のなかでいろんな声を聞くように、私自身も、頭のなかでは色んな声がしているんです。行為や言動をちゃかしたり、反対する自分がいたりして、頭のなかでなにか考えると、それについていろんな自分が、いろいろと意見を言ったりする。
私自身、夫を見送った時に感じた悲しみはとてつもないものでした。しかしそれはただ悲しいというだけではなくていろんな感情をともなった、一色にはならない感情なんです。それまで知らなかった深い悲しみは絶望でもありますが、それは同時に、未知の感覚の発見であるという、ポジティブな面もありますよね。そのどちらも私であり、人は矛盾した感情を生きる存在であるということは、私の実体験に基づくものです。そうしたことは、人や世界が首尾一貫した合理的な考え方では必要とされないものですよね。
ほかにも、「(略)お仏壇の前に横座りに座っていて(中略)つむっていた目を開けだ。いきなり、光が目に飛び込んできた。なんたらきれいだべ。障子越しの日の光がまばゆいまでに美しいと思った(略)」という箇所や、たまたま手を合わせた時に、右手が左手の温かみを感じたという箇所は、じつは私の実体験なんです。桃子さんが見た白装束の列も、私が以前に見たものがもとになっています。幻覚のようなものかもしれないけれど、それを文字にしてみたかった。
― 見えてはいけないものまで見えちゃったのですね。
若竹:しかし、実際に文字にしてみると苦痛を伴うことはありました。うんと悲しんでいる頃は、こんなことを書けないと思っていました。柔毛突起の「死んだ死んだ」という箇所は、当時ではとてもじゃないけれど書けなかった。むしろ時間が経って、悲しむ自分を俯瞰できたことで、「死んだ死んだ」や「かえせもどせ神様バカタレ」という言葉が書けるようになりました。本当に時間と心の整理が必要だった。
あとは、面白いことを書きたかったんです。冒頭で、桃子さんがジャズを流しながら踊っているシーンを書くことができた時は、本当に「やった!」という感じでしたね。こういうテーマの小説に茶々を入れることができた時に、これは面白くなると思いました。
― 些細なことでもノートにメモしたりするのですか?
若竹:いろいろなことを全部メモしています。今日こうした、ああしたということまで、日常生活で感じたこと、考えたこと、本を読んだ感想など全て、ひとつのノートに記録しています。創作用のノートというわけではなくてとにかく日々のこと全部を書いたものです。
これは夫を見送った年の8月下旬から書き始め、現在では30冊くらいになっています。それ以前にもノートに日常的なことは書いていましたが、それまでとは全く違う自分だと思って新調して書き始めました。ただ、書き始めたころのページは、さすがにまだ読み返すことができません。おばあさんになってから読んでみたいと思います。













