「BACK FROM OVA 80’s GRAVE」と題した、『オリジナルビデオアニメ80’s テープがヘッドに絡まる前に』(出版ワークス刊)の出版リリースイベントが3月下旬に高円寺で開催されました。
本書は、1983年~89年に突如として人気を集めた「オリジナルビデオアニメ」を網羅した書籍。本イベントでは、80’s OVAをリアルタイムで謳歌していた、担当編集者とライターを務めた3人を迎え、当時の様子などを、お話して頂きました。
電子書籍ランキング.comでは、このインタビュアーとして参加させて頂きました。
この本の魅力のみならず、2018年に本書が刊行された意義など、数々の貴重なお話をお伺いしました!是非、ご覧ください。
OVAは個人で映像文化に親しめるという状況を作ってくれた
松原:平日の夜ではありますが、『オリジナルビデオアニメ80’s テープがヘッドに絡まる前に』と『80年代アダルトアニメの世界』の共同リリースイベントにお越し頂きありがとうございます。
今回、『オリジナルビデオアニメ80’s テープがヘッドに絡まる前に』を編集しました、MOBSPROOF編集部の松原です。
かに:皆さんどうもはじめまして。かに三匹と申します。今回は、宗教アニメに関するコラムを担当しました。あと、『たいまんぶるうす』(1987)とか、そういった、いろいろな作品のコメントを担当させて頂きました。今日はよろしくお願いします。
伴:男の墓場プロダクションの伴ジャクソンと申します。今回の本では、わりと王道のおいしい作品ばかり担当してすみません。どうぞよろしくお願い致します。
吉田:東北芸術工科大学の吉田正高と申します。よろしくお願いします。『のりピーちゃん♡』(1989)などについて書いています。
――では、インタビューを始めます。まず「オリジナルビデオアニメ(以下、OVA)とは」ということを伺えればと思います。
松原:OVAとは……、ざっくりと説明したら、ビデオでしか観ることができない作品(笑)。定義としてはそうなんですけど、80年代当時のOVAは、とりあえずエナジーが半端なかったんですよ。初期衝動がすごいというのは、めちゃくちゃ感じました。当時10代だったので、余計に感じた気がしますね。今回のメンバーはほぼ同い年ですかね?
吉田:僕は69年生まれですが、おそらく3年ぐらいしか差がないんじゃないですか。もうダメなんですよ、中学生ぐらいの時にこういうのを観ちゃうと(笑)。
かに:OVAってある意味、深夜アニメの祖先みたいなものなんです。当時はビデオでしか観られなかったりするんですけれども。
今の深夜アニメも、基本的にはパッケージでリクープ(※)するという仕組みを構築していますが、そういう仕組みを最初に築いたのがOVA。
※リクープ : 費用を回収すること
伴 : 実際問題、OVAって当時としてはすごくエッジなメディアだったんですよ。テレビアニメから、富野(由悠季)監督の『機動戦士ガンダム』(1979)や『伝説巨神イデオン』(1980)みたいなハイブロウな作品が出てきた流れを踏まえて、「若い層にアピールする、テレビでは観られないアニメを作ろうじゃないか」といった感じで、ワンランク上のものとして登場した。だから当時は「高いお金を払う分だけ、すごいものが観られる」という期待も高かったわけです。
しかし、数多くの作品がリリースされていくと、「そうでもないか……?」というのが、段々明らかになるんですけど(笑)。
吉田:ビデオ文化の中にアニメが入ったと思って欲しいんですよね。OVAは個人で勝手に映像文化に親しめるという状況を作ってくれた。それまでは8ミリの映写機とか使って観なくちゃいけないから、非常に面倒くさかったんですよね。OVAはカセットをガチャポンとセットして、スイッチを入れれば観られるわけじゃないですか。
だから、今回はアニメってやっていますけれど、もちろんオリジナルビデオという実写ものも出てくるんですよね。『地球防衛少女イコちゃん』(1987)とか、『宇宙少女刑事ブルマ』(1994)とか。わかんないと思うんですけれど(笑)。
かに:それを観るのは世代じゃなくても難しい(笑)。
吉田:エッチな作品もビデオに変換されてくるわけですよね。あと、過去の名作映画もビデオメディアに落とし込まれてくる中で、OVAは放送することを前提に作っていない、あるいは劇場で映すことを前提にフィルムで作っていたものが、ビデオというパーソナルメディアに落とし込まれてくるという面白さに、僕らはずっと何年間も囚われていたと思うんですよね。
――初めてご覧になったOVAの作品を挙げていただけますか。
かに:まずは『ダロス』(1983)(※)ですよね。
※世界初のOVA作品。監督は押井守氏。
伴:1話の内容が地味だから2話からリリースされたんです。普通あり得ないですよね(笑)。当時、深夜番組の『11PM』で「これがOVAだ!」みたいな特集が組まれていました。そこで2話冒頭の、階段に大量の薬莢(やっきょう)がガッシャンガッシャン落ちてくるシーンが流れて、強烈なインパクトがあったんですよ。「この作品、絶対観なきゃ」と思いました。
かに:深夜のエッチなテレビ番組で、アダルトビデオだとか、アダルトOVAだとか結構放送していたもんね。
松原:(笑福亭)鶴光師匠がサンテレビでやっていた『風俗大図鑑 大人の子守唄』でも、『くりいむレモン』(1984)が流れたりしていましたし。
吉田: 一番感動したのは、『メガゾーン23』(1985)とかですかね。『メガゾーン23』はオチが効いているんですよ。それまでの作品は、ちょっとオチが効いていないものが多くて。さっき松原さんが言ったんですけれど、初期衝動でやっちゃっているから、「オチなんかなくてもいいや」って感じで進んでいくんですよ。まずやってみようって。アニメファンの前では、初めてオチが効いている作品が現れたというイメージだったんです。
松原:観ている人も、年代的にジャストという内容やと思うんですよね。挫折感とかやばいじゃないですか。
――気づいたら終わっていた作品はほかにもございますか?
松原:多い。『バビ・ストック』(1985)みたいに13巻のシリーズで予定されていたものが、2巻だけで終わっている作品も(笑)。一応、オチは着いていましたが。
吉田:『酎ハイれもんLOVE30S』(1985)なんて1話で終わっています。1話で終わるってどういうこと(笑)。
――押井守監督の『ダロス』が出る前のアニメの環境は、どういったものだったんでしょうか。
伴:基本的には、テレビアニメが中心。ワンランク上が、劇場アニメという印象だったんです。
松原:その間で、テレビスペシャルみたいなものとか。
吉田:だから、パンパンだったんですよね。なんか、そろそろ限界突破したいんですけれど、突破口が見出せない。ハイスペックなものを作っているんだけど、より欲している人たちにそれをどうやって伝えるかというのが、明確ではなかった。
『クラッシャージョウ』(1983)とか、『幻魔大戦』(1983)というのは、ものすごくハイスペックなアニメだったんですが、家族で観るアニメや漫画、映画から派生したアニメ映画という殻を打ち破れていないんです。
それは、やっぱり劇場アニメのイメージとテレビアニメのイメージが、本当に欲しい人に行き渡らないというイメージがあったんですね。
松原:製作者はベテラン勢が詰まっていて、若手が実力を出せなかった。1984年ってひとつのポイントなんですよね。『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984)とか、すごい劇場作品が世に出たんですね。その時にOVAが裏で頑張っていた。そういうのがあるんですよね。
かに:あとオフシアター形式って、ご存知ですか? 『夏への扉』(1981)だとか、OVAが出る前にテレビでも劇場でもない形で上映しようという動きがあったんです。
吉田:公民館みたいなところであった。
かに:そういう小規模な公民館を回りながら、製作費を回収していく。後々、人権アニメや反戦アニメと言われている作品が採用する手法なんですけれど。
吉田:『はだしのゲン』(1983)など、子供にいい映画を見せようと、やっていた手法ですね。
かに:テレビアニメの放送本数が84年ぐらいから激減するんですよ。その隙間を埋めるように、OVAが出てきたことは影響しているんじゃないかなと。
吉田:84年にファミコンが発売されるんですよね。85年には『スーパーマリオブラザーズ』が発売されます。ゲームはやっぱり個人でやるもの。
当時はみんなで楽しむものじゃないから。そういう文化の中に、アニメも参入してきたということだと思うんですよね。それまでの手法とか、培われてきた経験みたいなものが、アニメに移って、面白いものができてくるという。
松原:あとは、レンタルビデオ屋の増加も関係してくる。今の「Netflix」などのサービスと同じように、既成作品のソフト化だけでは需要に追いつかなくて、オリジナル作品を作る必要性に迫られてきたのも理由のひとつで。
吉田:当時のレンタルビデオ屋の勢いはすごいんですよ。近所の米屋がいきなりビデオ屋になったりするんです(笑)。普通に米屋をやっているのに、横でレンタルビデオもやるんですよ。そういう店に、過去の名作と並行してOVAが出てくる。いろいろなものが同じスタートラインに立つんですよ。
松原:同時多発的に文化が起きるというのはどこでもあることで、この時期にOVA、特撮ビデオやファミコンとか一気にいろいろ出てきたのも似たような感じだと思うんです。
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