グリコ・森永事件を扱った小説『罪の声』を書いて脚光を浴びた、作家・塩田武士さん。今回、自身初の短編集となる『歪んだ波紋』を書き上げた。
新作ではジャーナリズムの重要性、情報社会を生きる私たちに警鐘を鳴らす一冊となっている。元新聞記者である塩田さんは新作にどのような想いや考えをこめたのか。
今回、電子書籍ランキング.comでは塩田武士さんにインタビュー取材を行いました。
新作を書くきっかけ、タイトルのとおり松本清張をオマージュした理由などについてお伺いしました。是非、ご覧ください!
情報、ジャーナリズムの位置づけを示したかった
―『歪んだ波紋』は『罪の声』のように、ノンフィクションをもとにして書かれているという印象を受けました。本書を書くきっかけを教えていただけますか。
塩田武士(以下、塩田) : 松本清張や山崎豊子の本を読んでいると、お二方のような作家は戦争を背負っている世代だなと思います。現代の小説家である僕は何を背負うべきなのかを考えたときに、それは「情報」だと思ったのです。紐解いていけば、情報革命によって今日の構造変化が起きていますし、どの業界でもこれまでのひな形が崩壊しているわけです。
僕が新聞社にいたこともありますが、情報、ジャーナリズムの位置づけを示したかった。ジャーナリズムという言葉を見聞きすると、すごく難しい印象を受けると思いますが、本当は一人ひとりが抱けるといいんじゃないかと思います。この小説を読んでもらえると、スマートフォンのアプリのように、頭の中に「ジャーナリズム」をインストールできて、「炎上」や「フェイクニュース」が覆っている情報の霧のようなものが晴れていくんじゃないかというイメージがあります。
『歪んだ波紋』で「誤報」をテーマにしたのは、『罪の声』のプロモーションを行っていた際中に、「あるゲームの世界大会である市役所の職員さんが優勝しました。というのは嘘でした」という新聞の囲み記事を目にしたのがきっかけです。
僕も市役所の記者クラブにつめていたのでわかりますが、役所が発表した内容が嘘だと記者は思わないんですよね。しかも地方版は紙面を埋めないといけないので、疑いをかけるという発想がそもそも無かった。僕も誤報を出していたと思います。この記事を読みながら、記者クラブっていう古い組織体質とSNSでの投稿をきっかけに嘘だと発覚したことの対比がおもしろいなというのと、この誤報の後に、実は人間性とか真実が垣間見えるんじゃないか、というふうに思ったんです。
このことを編集担当に相談したら、「じゃあ誤報の『誤』を、『後』という字にしたタイトルにしましょう」ということで、小説の仮縫いができました。この「後報」という仮タイトルから内容を考えていったときに、「誤報」を解きほぐして読者に提示したら、今日の情報過多社会の断面を表せるかもしれないと思いました。
―情報の正しさよりも、嘘をついた人の人生に焦点を当てたということですね。
塩田 : 誤報を分解していったときに、情報を鮮明にさせるというよりも雑然としたモザイクを晴らしていったという気持ちが強いですね。その中で、一人の人生を書けるかもしれないと思っていました。最終的には人間を書きたい、それが社会を書くことになるというのが僕の基本的なスタンスなので。
僕にとって短編集は初めての挑戦でした。松本清張をオマージュしたのは、短い作品のなかに社会性、人間性、そしておもしろいものが詰まっている作品を目指したからです。ただ、ひとつの作品にたくさんのピースを入れていったので、1本書き上げるのに3ヵ月ぐらい、全部で1年以上かかりました。
―『歪んだ波紋』は、松本清張の作品名から着想を得たということですが、松本清張の作品や、他にも作家として影響を受けた作品を教えていただけますか。
塩田 : 『歪んだ複写』の内容を意識したわけではないんですよね。ただ、清張のタイトルの付けかたは抜群に上手い。タイトル名が頭に残ることで、作品の本質を抜いてくるところがあるのですが、僕の作品にそれを当てはめたらどんなことになるかを考えて逆算しながら書いたんですよね。松本清張のそのセンスは50年近く経っても、今の小説家が「なるほど」と膝を打つものだとは思いますね。清張の短編に最も影響を受けたので、どのようにリスペクトを表現したらいいのかなと思って、清張のタイトルを想起させることを考えました。
影響を受けたのは、藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』を読んで小説家を目指しましたし、高村薫さんの『レディ・ジョーカー』など、たくさんありますね。
―書くにあたってどういうところが難しかったですか?
塩田 : 5本それぞれに人間の悪意や疑心暗鬼などを表現して、あわせて社会性の問題、虚報や誤報、時効を取り上げつつ、おもしろさにはこだわりたいので必ず序盤と終盤に意表をつく展開にしたいと思っていました。それぞれのテーマを分解すると長編1本ぐらいになりますが、あえて短編に収めたので、ものすごく贅沢だと思います。それをまとめるのに時間がかかりましたし、苦労しました。
―今回は、どのくらい取材や資料集めに時間を割かれましたか?
塩田 : 『罪の声』を書くときにたくさん取材して資料も集めて書いたのですが、「グリコ・森永事件自体の魔力が強い」と言われることもあり、小説家としては不満でした。そのこともあって、『歪んだ波紋』では取材や資料集めを極力抑えています。このリアリティが何かの資料によって生まれたということはありません。新聞記者としての経験なども交えて、普段からずっと考えていたことを短編小説としてまとめています。
長編とは違い、短編は自分の考えを整理して発表するものかもしれないと思っています。
―『歪んだ波紋』はこれまでの作品とは思い入れも違いますか?
塩田 : 短編に挑戦するという意気込みはやはり強いです。これまでは取材して資料を読んで、それをもとに資料を作り直すということが基本でした。ただ、それで小説家として筆力がついているんだろうかと思う部分もありました。僕はノンフィクションライターではないし、取材が目的でもありません。それを再確認したかったこともあります。
それと筆力そのもので勝負したかった。その壁を乗り越えないとやはり不安です。これだけ本が売れなくて、これからも小説家として生きていくなかで、成功体験に引きずられるのが最も怖いですね。
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