2017年、コミックスの売上は、紙が1666億円、電子が1711億円となり、ついに電子の売上が紙を越えた。またマンガ雑誌の売上は1995年をピークに当時の3割未満に落ち込んでいる。その状況を横目にマンガアプリが浸透し、次々と大ヒット作品が生まれている。
今回電子書籍ランキング.comでは、今マンガ業界で何が起きていて、今後どのようにマンガビジネスが転換されているのかを『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』の著者でライターの飯田一史さんにお伺いした。
ビジネスモデルが違うのにいっしょくたに考えている人が多い
―― 前作の『ウェブ小説の衝撃』は、ウェブ小説投稿プラットフォームが出版業界に与えたインパクトについて扱った作品ですが、今作の『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』は、どういった経緯で書かれたのでしょうか。
飯田一史(以下、飯田):前の本を出したあとにマンガ業界の複数の方から「小説ではWeb上のプラットフォームやアプリを使って小説を育てていく流れができたのはわかりました。マンガはどうなっていくんですかね」と聞かれまして。あまりにも聞かれるので、これはちゃんと調べたほうがいいのだろうと思って取材を始めたのがきっかけです。
―― マンガ業界の人があまり知らなかった?
飯田:自社のことはもちろん皆さんわかっています。ただ、全体としてどうなっているのかについて書いた本はなかった。だから今どういうことになっていて、何をするべきなのかの全体像を描けば、意味があるかなと。
調べればいろいろわかっていくわけです。たとえば「マンガアプリには『IT企業系』と『版元系』がある」みたいな語られ方がよくされるけど「それって分け方として雑すぎて、あんま役に立たないな」とか「紙のマンガ雑誌やコミックス単行本が電子書籍になっていくってことでしょ?」的な低次元な話ではないということが意外と出版業界内でも共有されていないと気づいたり。
そういうことがたくさんあるわけですよ。ユーザー視点では、マンガアプリってだいたいどれも毎日配られる無料チケットを使って読んでいく仕様になっているから、どこも同じように見える。でも「よそから仕入れた作品を使って稼ぐ」という電子書店系のマンガアプリと、「自社でコストをかけて作った作品を使って稼ぐ」出版社のビジネスモデルは全然違います。
だけど大半のメディアはいっしょくたに「マンガアプリ」としてくくって、ダウンロード数やユーザー数を比較して語る。そんなことして何の意味があるんですかね? だってそれ、紀伊國屋書店の決算と講談社の決算を比べるようなものじゃないですか。
ただこれまた意外なことに、マンガアプリの当事者であってもそういう視点を忘れて「打倒LINEマンガ」とか思ってしまう方もいらっしゃる。ユーザーからすればマンガアプリの運営元が電子書店であろうと出版社であろうと関係ないけど、ビジネスする側にとってはその違いは重要です。
……とかそういうことを書きました。
―― 拝読させていただいて、幅広く取材されているなという印象を受けました。
飯田:本当はマンガと広告の関係に関しては広告サイドに対してもっと取材すべきだと思っていますが……。
―― 本の中で2016年頃から新しいアプリが出てきて、2019年から2020年にかけて、マンガアプリの再編が起きるだろうと書かれていました。具体的にはどのような形で再編されていくとお考えなのでしょうか。
飯田:前提として何を根拠に再編が起こると言っているかということから説明しますと、出版社の人は特に根拠はないけどなかば商慣習的に「とりあえず3年、様子を見る」ということをよく言うわけです。したがって、自社で手がけるマンガアプリ事業も3年やって最低でも単年度黒字くらいまでになっていなければ閉めるだろうことが予想されます。
しかし、そもそも自社発のマンガアプリに多くの編集者や経営者は何を期待しているか。マンガ雑誌の機能の代替のはずです。マンガ雑誌の機能の本質は、それ自体で売上を立てることではありません。作品・作家の「宣伝」と「育成」です。マンガ雑誌の売上低下によって作品を載せても何の宣伝にもならず、読者のフィードバックを受けながら作品や作家を育てるということが困難になった。だから今は紙の雑誌と自社のマンガアプリを両方やっている版元が大半ですが、本当のところは後者にうまく移行できればそれに越したことはない。それがいま試されている。
で、これで「自社マンガアプリは雑誌の代替物としてうまくいきませんでした」となった場合には、紙の雑誌もダメ、アプリもダメだとすると、自社媒体はすべて畳んで、LINEマンガやピッコマのような電子コミックスの書店系プラットフォームに編集部を間借りするしかなくなります。pixivコミック上に版元別に「マガジンピクシブ」とか「ジーンピクシブ」みたいな媒体があるような状態が一般的になる。あるいは、版元同士で組む可能性もありますが。
いずれにしてもそうなるともはやそういう編集部は事実上「publisher」(出版社)ではなくて「編プロ」「マンガ制作会社」ですよね。編集機能は持っているけれども出版機能はかなり限定されている。で、自前で媒体を運営するキャッシュもない。そうなれば有力な編集部ごとどこかの会社に買われるとか、有力な編集者が懇意な作家と組んで編プロ/マンガ制作会社として独立するとかいったことが頻繁に起こるでしょう。
これ以上語ると長くなりすぎるので一例に留めますが、たとえばそういうことです。それだけでもマンガ界の勢力図はかなり変わるでしょう。
もちろんその前段として、アプリはお金がかかるので、雑誌やアプリがダメならそれらに比べればローコストなWebに移行するケースが増えると思います。Webで読ませやすくする技術はどんどん発達していますし、アプリに比べれば規制も少ないし、アプリ内売上に対して取られる30%ものApple税、Google税もないですから。
―― 今、大手の出版社を中心に自社メディアやアプリを持とうとしていますが、メディアとして残ることはできるのでしょうか。
飯田:「メディアとして残るかどうか」はまったく本質的な問題ではありません。自社でメディアを持つことが偉いわけではない。自社メディアは「目的」ではなく、作品を育て、広め、売るための「手段」にすぎません。
企業であれば一般的にはどこの会社も「収益を上げること」が目的であり、それが達成できる手段として、よりふさわしいものがあればそちらを選ぶべきです。あるいは、企業それぞれに「何のためにこの会社はあるのか」という理念があるはずで、そうしたビジョンを実現する上で自社メディアを持つことが重要なのであれば持つことにこだわるべきでしょう。また、作家であれば「よりたくさん読まれ、よりたくさん認められ、よりたくさん儲かる」ことを求める方が多いかもしれません。
いずれにしてもメディアを持つことは目的ではなく手段です。したがって「メディアとして残ることはできるか」という問いに何の意味があるのか私にはわかりません。雑誌にしろアプリにしろ、マンガを掲載し、マネタイズするための「場所」にすぎない。そこにフェティッシュに執着する必要は客観的に見れば存在しません。
ただ、ヤドカリが「貝殻の中に入らないとやばい!」と本能的に思っているのと同じで、単にこれまでの習性から「自前のメディアを持たないといけない」と思っている出版人が多いことは、肌感覚ではわかります。「別にその貝殻いらないんじゃないですか? 時代が変わったんで、いまはそれが最適な生存戦略じゃないのでは?」と思っています。
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