人がどう楽しく生きるかのために、コンピュータはあると考えています
――まさに「現代の魔法」ですね。その「デジタルネイチャー」を考え始めたきっかけは何だったのでしょうか?
きっかけは、「ユビキタスコンピューティング」が好きだったことですね。そのコンピュータのことを考えていたら、「ユビキタスの次ってなんだろう?」と思ったんです。
そしたら、人間とコンピュータの区別がつかない世界なんじゃないかと思ったんですよね。人間もコンピュータも見分けがつかなくなったら、自然がデジタル化してもおかしくはないなと。それを「デジタルネイチャー」と呼ぼうと決めました。上も下もないような新しい自然観をつくる。インターネット時代のサイバネティックスのような。
――「ユビキタスコンピューティング」から「デジタルネイチャー」への変遷について、少し解説していただけますでしょうか。

今まで人間がいて、それを取り巻くようにして周囲のあらゆる所に物がありました。コンピュータは人間に使われる存在だったわけです。コンピュータ自体はインターネットによって相互通信して、繋がっていて。それが人間を取り囲んでいるような世界が「ユビキタスコンピューティング」と呼ばれる今の世界です。ここでは明確に人間と人とコンピュータは区別されている。つまり、人間が動かす物に対して、コンピュータが反応する、逆にコンピュータから人間に向かって情報が返ってくるという環境になっているわけです。つまり、「ユビキタスコンピューティング」というのは、コンピュータの呼び方なんです。人間の周りにコンピュータを置こうという考え方なんだけど、これが「ユビキタス」と呼ばれてから早24年も経ってしまった。また世界観が変わってきたなと思うんです。
人間もコンピュータもたくさん存在していることは、変わりません。ここで、人間とコンピュータの関係性で議論するのではなくて、関係の外側の枠(図:青線の枠)に目をむけてみようという世界観なんです。
「ユビキタスコンピューティング」と違うのは、自然の位置付けです。人間と人工物があって、残りのサブセット(部分)の中に自然があったんです。自然と言うとざっくりしていますが、例えば、植物や、生き物が人間とコンピュータと関係ないところにいたわけです。
そして、それら全てを取り囲んだ一つ上の概念が必要になってきて、それを「デジタルネイチャー」と呼ぼうと思ったんですよね。それで、もう一度人間とコンピュータの関係に視点を戻してみると、人間がコンピュータを使うだけじゃなくて、コンピュータが人間を使ってみようとか、人間に対してコンピュータが指示を与えるときの、この矢印自体(点線で囲んでる中心の黄色矢印)をどうやって作るか考えてみようとか。あとこの余白の空間そのものを、どうやったらコンピュータが扱えるようにプログラミングしたらよいかとか。そういうことを考えてみよう、一つ上の視点から物事を捉えようというのが、「デジタルネイチャー」なんです。人と空間と自然と計算機が「計算機によって記述される超自然に内包される」。
――「ユビキタスコンピューティング」と比べると、相互的な感じがしますね。最近、囲碁の勝負で人工知能が勝ったというニュースがあったと思うんですけど、技術が近づいてきているという感じがします。
そういうような哲学観で生きていた方が、人生楽しいだろうなというのが「デジタルネイチャー」なんです。人にとっての利便性か高いかどうかのためにコンピュータがあるわけじゃないと思うんです。人がどう楽しく生きるかのために、コンピュータはあると考えています。

――今見せていただいたタブレットなのですが、それはいつから使っていらっしゃいますか?
6年くらい前から、小さいと不便なので、今では12.9インチの大きいiPad Proを使っています。電子書籍もこれで読んでいますよ。僕、通勤途中にマンガを読むことが今まで全然なかったんですけど、これでマンガを読むようになりました。紙のマンガと違って電子書籍はかさばらないので、電子コミックはとてもいいと思います。この大きさで縦にしたら、もう「週刊少年ジャンプ」と同じサイズになります(笑)
今読んでいるのは、『クジラの子らは砂上に歌う』です。このSF作品は好きですね。これと「コミックビーム」で連載されている『イムリ』が俺の中でヒットしています。
――落合さんのお言葉を借りると、電子書籍も「魔法の箱」と言うものなのかもしれないと思っているのですがどのように思われますか?
「魔法の箱」で言うと、iPadはいいと思います。人間が本を読んできた媒体は、歴史を振り返ってみても、ほとんど板ですからね。
板は薄くて軽いですけど、所詮、板は板ですよね。本や絵は、そもそも二次元で共有することが前提なので、それはそれなりのコンテンツですよね。無理に3Dになる必要も、動画になる必要もきっとないと思います。人間の網膜は二次元しか認識できていないし、本を読むようなインプット行為は、きっと三次元にあまり向いていないと思うんですよね。
だって僕たちは、三次元空間を生きているくせして、あんまり三次元のものをやっているかんじがしないと思いませんか? 重力があるから、例えば、机は二次元ですよね。地図も二次元。地図が三次元だったら、僕たちは全然理解ができない……。なのでまだ、板を薄く軽くしていけば十分なんじゃないでしょうか。
ソフトウェアや、資産という観点からすると、電子書籍は再配布不能というシステムをもう少ししっかりと考えないといけないだろうなと思います。
つまり、PDFやファイルを他人に転送できない状態をどうやって作るかですね。ある特定の端末だけで購入したファイルがその端末でしか読めないという状況を、Amazonとかibooksとかの特定のサービスではなく、ソフトウェアのプラットフォーム以外でどうやって作れるか。ある特定の箱で買うと、その買ったファイルは読めるんだけれど、ほかの端末では読めないというルールをまず決めてしまうんです。全ての端末の中で、自分とほかの端末の違いを認識する方法が、いつになったらできるのかですね。今はそれをプラットフォーム側でやっていますけれど、プラットフォーム側でなくなったら、電子書籍もさらに所有感のあるものになると思います。多分ブロックチェーンは良い働きをしてくれると思います。
――本を持つということは物欲を満たすものでもあると思います。電子書籍にはそれが今一つ追いついていないような感じがしますよね。
それはARやMRの時代になれば、人間はそんなことを気にしなくなると思います。物は、今あまりに現実感のないデータとして人間に提供されていますよね。例えば、本のようにパラパラ捲ることのできるデータがあったとしたら、それはほとんど本をもっていることと一緒です。少なくとも5~10年経てば、そうなるのではないかと思います。
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