今回メールインタビューさせていただいたのは『海猿』、『ブラックジャックによろしく』などの大ヒット作品を次々と生んできた漫画家・佐藤秀峰先生。佐藤先生はそれらのヒット作を作る裏側で、出版社などの作品の扱われ方や原稿料にまつわる「トラブル」と闘ってきました。自身の作品『ブラックジャックによろしく』のフリー化や、最近ではWeb上で新連載を始めるなど、漫画業界の最前線をずっと走り続けています。
佐藤先生にとって漫画家というお仕事とは。ネット時代と漫画はこれからどう付き合っていけばいいのか。佐藤先生の考える「マンガの未来」について熱く語っていただきました。
※『ブラックジャックによろしく』1巻より
僕は、漫画は自由なものだと思っていました
――先生は「週刊ヤングサンデー」に掲載の『おめでとォ!』で1998年に漫画家デビュー。ヒット作品を生むと一方で、著作権「トラブル」で大手出版社を離れたことでも話題になりましたが、漫画家の道を独自に切り開いてこられたと思います。ここ10年を振り返ってみていかがですか?
そうですね。僕が著作の契約をめぐって版元と「トラブル」を起こしたのも、もう随分と前の話になってしまいました。よく言われる話ですが、一般的に漫画連載を開始する際、執筆契約や出版契約などを行うことがまずありません。見積書も発注書も、納品書もない口約束の世界なんです。漫画連載がいつまで続くのか、原稿料が1枚いくらかも分からずに、仕事が始まってしまうような漫画業界の商慣習に対して、漫画家になった当初からずっと疑問を感じていました。独自に契約書を作り始めたのが2007年か2008年頃だったと思います。行政書士に依頼して契約書のドラフトを作ってもらい、それをもとに版元と交渉するということをしました。
本来、契約書というものは無用なトラブルを避けるために交わすものですよね。だけど、漫画業界は契約を交わすという常識がないので、「契約書を交わしたいだなんて非常識な奴だ」と煙たがられましたね。『ブラックジャックによろしく』連載移籍の際は、講談社と契約がまとまらなかったので小学館と交渉して契約したのですが、前例がほとんどなかったので「トラブル」と受け取られたのでしょう。
「スピリッツ」に掲載を開始すると同時にゴシップ記事が出たり、いろいろといじめていただきました。それなりに覚悟してやっていましたけど、一漫画家と版元では、パワーバランス的に版元の方が強いですから、思い通りにならないことも多かったです。
僕は、漫画は自由なものだと思っていました。自分の頭の中にある世界を自由に表現できるのが漫画だと思ってきたので、プロになってから不自由な現実に突き当たって、「自由な場所なんてどこにもないんだな」と失望したんです。お金の問題をはじめ、作品をめぐる編集部との衝突はいくらでもあって、健全な議論ができるのであれば衝突も問題ないのですが、理不尽なこともすごく多いんですよ。キャリアを重ねるに従って理不尽な出来事も増えていって、気がつくと「漫画が好きだけど、漫画を好きでいるためには漫画家をやめるしかないな」と思うようになっていました。
でも、漫画をやめてもほかに何かできるわけではありませんからね。じゃあ、出版社に依存せず漫画家が直接著作を電子書籍販売できる仕組みを作ろうと考え、2009年に「佐藤秀峰onWeb」というサイトを立ち上げました。
翌年には機能を拡張して、あらゆる作家が作品を直販できるサイトとして「漫画onWeb」をオープンさせました。
「漫画onWeb」は、漫画家が立ち上げた直販サイトということで話題になり、割と順調にスタートできました。サーバーがダウンしたり、開発が遅れたり、運営の裏側は大変でしたけど。2010年はiPadが発売になり、「電子書籍元年」という言葉が使われ始めた頃でした。時代的にもちょうど良かったかもしれませんね。「漫画onWeb」は、サービス内容をリニューアルしながら運営をしていて、現在はWeb雑誌の発行と「電書バト」という電子書籍取次サービスに力を入れています。
「電子書籍時代」に突入すると、海賊版や自炊代行業者が敵視されるようになり、漫画・出版業界はそれらの取り締まりを強化しようという方向に動いていきました。版元側は「海賊版を取り締まりたくても我々には著作権がないので取り締まることができない」という建前で著作隣接権を要求し、そこで漫画家側と小競り合いがあって……。僕はそれを「くだらないな」と思いながら見ていました。自分でサイトを運営していたので、海賊版が電子書籍の売り上げに影響しないことを知っていましたし、自炊代行は別に違法ではありません。むしろ、膨大な量のコンテンツの中で自分の作品に注目が集まることの難しさに悩んでいましたから。
世間ではオープンデータやビッグデータと言われているのに、著作権で作品を囲い込んで誰の目にも触れないようにしようというのはバカげているなと。読んでもらってこその作品でしょう。
「じゃあ、作者公認で海賊版をばら撒けばいいじゃん? 自分でばら撒くのもめんどくさいから誰かやってよ」ということで、『ブラックジャックによろしく』を二次利用フリー化したのが2012年でした。これも話題になりまして、作品はものすごい勢いで拡散しました。
拡散していく過程で、多くの電子書籍ストアからお問い合わせをいただき、『ブラックジャックによろしく』以外の作品も一つ一つライセンス契約をしていったんですけど……。たしか、約60ストアと契約しましたかね。『ブラックジャックによろしく』を読んだ読者は『新ブラックジャックによろしく』も読みたくなるわけで、とにかくこれが売れるんです。フリー化から1年も経たずに、電子書籍だけで著作関連の売り上げが1億円を超えました。
結論として紙から電子書籍に舵を切ったのは正解で、今年は月間の売り上げが億を超えるときもあり、現時点でこれまでの年間記録を大幅に塗り替えて、過去最高の売り上げを更新中です。版元任せにはせず、著作権の管理を自分たちで行うことによって、独自の道を開拓できたのではないでしょうか。僕にとって、この10年は大成功と言えるものでした。漫画家になってから今が一番儲かっています。
――「漫画onWeb」では、「ネーム大賞」のコンテストを開催されるなど、若手作家育成の支援に尽力されていると推察します。なぜ「ネーム大賞」を始められたのか、きっかけがありましたら、お聞かせください。
きっかけは、作画スタッフ同士の遊びですね。以前、スタッフ同士で4ページの短いネームを作って「誰が一番面白いか競う」というような遊びをしていたことがあって、「面白いな」と思いました。漫画家の職場は、必然的に漫画家志望者が作画スタッフとして集まってくるんですけど、彼らが自分の作品を描いてお互いに見せ合うということは意外とないんです。新人って最初は「自分もいつかは独立するぞ!」「プロになるぞ!」と意気込んで職場にやってくるのですが、すぐに日々の仕事に追われて自分の作品を描かなくなるんです。
どの仕事でも似たような側面があるかもしれませんが、それってもったいないですよね。先輩スタッフが自分の作品を描かない人だと、後輩は作品を描いても、それを職場で言いにくい雰囲気ができてしまったり、妙にピリピリしてしまって、「せっかく漫画家志望者が集まっている職場なのに漫画の話ができない」なんてこともよくあるんです。そうした中、スタッフ同士でネームを見せて競い合える環境があるっていいなと思ったので、「もうちょっと規模を広げてコンテストを開催しよう」という流れになりました。
当時、短いネームを描いて競い合っていたスタッフたちはほとんど連載作家になって独立していきました。
才能は本人にしか育てることはできないけど、環境を用意することだったら、僕にもできるのかなと。20名くらいの漫画家さんや編集さんに審査員をお願いしていて、ご協賛も10社以上の企業にいただいて、だんだん規模が大きくなってきて、運営も大変になってきました。大変なのにどうして毎年やっているんだろうと考えると、実はよく分からないです。何か大切なもののような気がするんですけどね。