前に、この連載で稲刈りに行った話「第4皿目 長女、稲作にハマる」を書いた。
農業って効率化の積み重ねだったんだろうなあ、と思う。機械で植えるのはもちろんだけど、それ以前に腰にカゴつけて、ある程度の量の苗を持ってから田んぼに入るとか、いやいや、稲を列に並べて植えるのだって、たぶん何処かの誰かが、思いついて始めたはず。
(中略)
農業をここまで進化させてきた力は、前例主義でなく、ハッカー気質というか、そういう類のセンスだったんだなあ、なんてことを土に足突っ込んで考える。不便に気づいて、考えて、やり方を変えていく。
そのとき収穫した稲がこちら。
これを食べられるようにするまでの工程もまたクリエイティブでおもしろかった。
お世話になった農家の方には「しばらく干して、それから、プチプチはずして、あとばビンにいれて、棒でつけば精米できる」と教わった。なるほどわかりましたー、と返事をしたものの、帰ってきてにわかに戸惑う。干す?
どうも違う気がする。だいいち邪魔だ。翌日、こうしてみた。
規模は全然違うけど、こんな風に田んぼに干してあるの見たことある。これならいい感じに乾燥しそうだ。なるほどなるほど。きっと弥生時代の誰かもこんな風に干すのを思いついて
「すっげー、かわくよ。今までの半分」
「まじで!? マネしていい?」
「おー、いいよいいよ。どんどんパクりな!」
みたいな感じで広まったのかもしれない。
数日経って、水分が抜けて、軽くなった稲の籾殻をむき、一粒かじってみた。もちろんかじったところで、正しいかどうか判断できる感覚はあいにく持ち合わせていないので、米びつにある精米済みの米と比べてみる。うん、だいたい同じだ。
次は脱穀である。稲を茎から外す作業である。まずは爪でこそげ取ってみた。とれるはとれるけれど、うーん、どうにも効率が悪い。あとちょっと手が痛い。稲には細かいガラス質が含まれている。このまま続けると怪我をしそうな予感がする。じゃあ、と取り出したのは、フォーク。要するに千歯扱きの要領である。
とれるは、とれる。ただご覧のようにかなり飛び散る。これはたいへんだ。どうしたもんかなあ、と思っていたら、長女(9)が「これどう?」と持ってきた。遠足なんかにもっていく、おしぼりのケースである。この底に穴が空いているので、そこに稲を通して、引っ張れば、まわりに飛び散らないだろう、と考えたらしい。やってみた。
うん、これはいい。それにプチプチプチプチととれるときの感覚もなんだかここちいい。ただしばらくやってみて、1本セットしては脱穀して、また1本セットする、という工程がちょっとめんどくさいね、ということになった。
ふたたび台所をあれこれあさる長女。なにかをごそごそ作っている。できあがったのは、サラダか何かが入っていたプラスチックの容器の底に複数の穴を開けたもの。一度に何本もセットしてしまおう、という発想らしい。
あー、だいぶ効率良くなった。あと透明だから、中の様子が見えるのも楽しい。もっと効率の良いやり方もありそうだけれど、子供たちが「やりたいやりたい!」とかわるがわるやるもので、結局これで全部、脱穀してしまった。
ここまででこの日は終了。
せっかくなので、次女(6)の寝かせつけに『おこめようちえん』を読み聞かせてみた。
さっそく翌日、一部だけ籾殻をはずして、家にある精米済みのコメと混ぜて炊いてみた。よく見たつもりだったんだけど、ちょこっと籾殻のカスとか入っちゃってた。老眼かなー。きっと弥生時代も
「おじいちゃんがたくと、カス多いよねー」
「ねー、誰が炊いたかすぐわかるw」
「ほらほら、この石でイネをこそげとるのによくない?」
「あ、いいかんじー♪」
とか会話してたんじゃないかな、きっと。
今日はいそがしくって、お弁当を作る余裕がなかった。なので、近所のお弁当屋さんで、お惣菜を買ってきて、このお米をスタッフみんなで食べてみた。浸水が足りなくてちょっと固かったけど、その辺もご愛嬌ということで。まあまかないだしね。
ごちそうさまでした。
(今回で、「マンガ家さんちのまかない」最終回です!ご愛読ありがとうございました!)