#354 あなたのもう1つの肌に
あなたのスーツが好き。
あなたがそのスーツを、丁寧に扱うのが好き。
あなたは、脱いだスーツを、きちんとハンガーに掛ける。
その仕草が、ボールルームダンスを踊っているよう。
掛けられるスーツが、夢見心地になっているのがわかる。
まるで、私がハンガーに掛けてもらっているように感じる。
天女が、木に羽衣を掛けるみたいに、掛けられたスーツは、ふわふわと漂っている感じがする。
あなたがハンガーに掛けるのを見た時、この人に抱かれたら、こんな風に優しくしてもらえるんだなと想像していた。
それに比べると、私はハンガーと格闘している。
あなたは、外で決してジャケットを脱がない。
どんなに暑い真夏日の日も、ジャケットを脱がない。
そんな紳士的なところが好き。
紳士が、シャワーを浴びる前になって、ジャケットを脱ぐ。
それが、セクシー。
いよいよ、抱いてもらえるんだなと、思わず笑みがこぼれてしまう。
あなたが、シャワーを浴びている間、クローゼットに丁寧に掛けられたスーツを、こっそりのぞく。
そっと、触る。
触っただけで、生地の上質さがわかる。
生きている。
こんな生地を、触ったことがない。
見るだけでも、他のスーツとは違うことがわかったけど、触ると全く違うのがわかる。
クローゼットの中に、あなたがいる。
あなたのもう1つの肌に触れている。
ジャケットとベストの間に手を忍ばせた。
まだ、温かい。
あなたの体温が残っている。
あなたの香りがする。
タグが、ついていた。
1998年11月。
あなたは、20年もこのスーツを大切に着続けている。
ちっとも、古びていない。
一生、あなたに優しくしてもらえる予感を感じた。