#435 千本の手で、優しく
あなたの優しい顔が、好き。
あなたと、お寺に行った。
オフシーズンの境内は、静かだった。
こんな近くに、こんなお寺があるなんて、気がつかなかった。
今まで何もなかったところに、忽然(こつぜん)と現れたみたいだった。
それは、私が、気がつかなかっただけ。
あなたは、私が気がついていないことに気づいて、いつも教えてくれる。
お堂の中に、入る。
暗い。
一瞬、入ってはいけないのではないかと思うくらいの暗さだった。
お線香の香りがした。
今、焚(た)かれている線香ではなく、何百年と壁に焚き込められた線香の香りだった。
ろうそくの明かりで、仏様が浮かび上がった。
千手観音だった。
こんなところに、千手観音があるなんて。
ろうそくの明かりのせいで、扇状に伸びる腕の1本1本が、動いているように見えた。
救いを差し伸べてくださるその手の優しさ。
手のひら1つ1つに、見つけてくださる仏眼。
神聖な場で、不謹慎なことを思い出してしまっていた。
千手観音の手は、あなたの手に似ている。
あなたは、こんなふうに私を抱き締めてくれる。
まるで、千本の手があるかのように。
まるで、千の目があるかのように、私を見つめてくれる。
観音様の顔は、優しい。
あなたの顔も、優しい。
その顔は、ただの優しさではない。
その内側に、厳しさを備えた優しさだ。
千本の腕の動きが、音楽を奏でている。
千本の手で、全身を撫(な)でてもらっている感覚がした。
観音様の前で、こんな不謹慎なことを。
それも、全部、お見通し。
熱くなった。
体の中に、ろうそくの火が入ってきた。