#469 筆を立てるとき、羽が広がる
あなたが、字を書き始める瞬間が好き。
まったく力みがない。
話しながら、書く直前に、モードが変わる瞬間がある。
あなたが、筆を立てる。
この瞬間が、好き。
フィギュア・スケートの演技の始まりの瞬間のように、全ての世界が止まる。
時間が、止まる。
空間が、止まる。
書き始める前に、あなたの羽が広がるのが見えた。
白鳥が、水面から飛び立つ瞬間にも似ている。
まだ水面にいるのに、白鳥の体が広がる。
そのとき、白鳥の体重が、ゼロになっている。
あなたが、筆を立てると、筆の重さがゼロになる。
あなたの体重も、ゼロになっている。
なんの力も、加わっていない。
筆が、勝手に、動こうとしている。
あなたが、筆を動かしているのではない。
筆が、動いているのでもない。
あなたは、筆と、ダンスを踊っている。
神様が、あなたと筆のダンスを、誘導している。
あなたは、筆を動かしているというより、筆を支えていてあげている。
途中で、墨をつぎ足さない。
なのに、あなたの筆先から、墨が出続ける。
あなたの筆先からは、想像できないくらい細い線が描かれる。
同時に、想像できないくらい、太い線が現れる。
書きながら、あなたは ほほ笑んでいる。
筆も、ほほ笑んでいる。
書き終わるとき、あなたは、筆を立てる。
あなたの筆は、宇宙に垂直に立っている。
この瞬間も、好き。
書き終わりに、あなたが筆を立てるとき、あなたという白鳥の羽が、ふわりと広がる。
書き終えた筆が、名残惜しそうに、紙から離れていく。
私も、あなたに立ててもらう筆になりたい。