#542 全部、見てもらえる
あなたに見られるのが好き。
あなたと競技場に行った。
いい試合だった。
あなたは、私とは全く違うところを見ていた。
あなたが見ていたのは、試合ではなかった。
何を見ているのか、分からなかった。
私が見ていない何かを、見ていた。
競技場の試合を、生で見るのは、難しい。
ふだん、テレビのアップ画面で解説つきで見るのに慣れてしまうと、競技場では、いろんなことを見逃してしまう。
そう、見逃してしまうのだ。
見逃してしまうところに、競技場の面白みがある。
競技場は、あなたそのもの。
全部を見ることができない。
全部を見たと思っても、また知らないあなたが出てくる。
見逃していることにすら、気づかない。
それに比べると、私は、あなたにすべてを見られている。
最初は、恥ずかしかった。
すぐ、恥ずかしくなくなった。
どうせ、全部見られているのだから、隠しても始まらない。
隠さなくなった。
隠せないのだ。
全部、見られるのは、気持ちいい。
「恥ずかしい」は、「エクスタシー」に変わった。
全部見ることができない人から、全部見てもらっている。
あなたの前で、よく見せようとすることは、恥ずかしい。
よく見せようと無理していることを、見られてしまっているから。
そのほうが、もっと恥ずかしい。
全部、お見通し。
あなたの前では、服を着ていても、オールヌード。
全裸よりも、もっと全裸。
中の中まで、見てください。