#548 短編小説のような、日常
あなたの、短編小説のような日常が、好き。
ホテルのロビー。
外国からの団体さんが、いた。
普通、団体さんがいると、にぎやかになるのに、上品で静かだった。
イギリスか、フランスか。
1人の女性が、あなたの前を通り過ぎた。
化粧室に行くのかと思った。
すれ違いざま、彼女は、あなたに「ナイス・ハット」と言った。
あなたも、何か小声でささやいた。
その言葉に、彼女は、ほほ笑んだ。
聞き取れなかった。
聞き取れないくらい、ナチュラルな一瞬のやり取りだった。
恋人同士のような。
今から思うと、「ナイス・ハット」のあとは、フランス語だったかもしれない。
耳元でささやくようなフランス語なので、聞き取れなかったのかもしれない。
前を通り過ぎる間に、褒め言葉を言うなんて、大人。
いや、そうじゃない。
褒め言葉を言うために、前を通り過ぎたのだ。
それが、大人。
いきなり声をかけられても、いつも通りに話すあなたも、大人。
別の女性が、あなたの前に現れた。
「エクスキューズ・ミー」
何かを、尋ねられるのかと思った。
帽子をかぶっているから、ホテリエと間違えられているわけではない。
上品な女性だった。
若い頃は、かなりの美人だったことがわかる。
もちろん、今でも、若い女がかなわない魅力がある。
ブリティッシュ・イングリッシュだった。
彼女のお父さんが、あなたのような帽子をかぶっていた。
あの頃は、みんなかぶっていた。
お父さんは、帽子が似合っていた。
自分は、お父さんの帽子が好きだった。
あなたの帽子のかぶり方は、自分のお父さんのかぶり方に似ている。
まるで、短編小説を読むようなやり取りだった。