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#556 袖に、入れているだけなのに

あなたの袖の入れ方が好き。
あなたにコートを、着せてもらう。
まだ、着せてもらっていない。
あなたに、背を向けたまま。
場所は、レストランのクローク。
あなたは見えないけど、ほほ笑んでいるのが分かる。
クロークのかわいい女性も、照れたように、ほほ笑んでいる。
彼女も、魔法にかかっている。
そんなとき。
あっ。
私の手の指に、何かが触れた。
私は、両方の手を、ツバメのように後ろに伸ばしていた。
その手の指先に、何かが触れた。
触れたというより、包み込まれた。
温かいお湯の中に、入った感じ。
ベッドの中に、入った感じ。
温かいお湯が、伸ばした指先から、手の甲に伝わっていく。
少しずつ、お湯の中に、入っていく。
障子が、音もなく、滑るような感覚。
私の両手が、同時に、お湯の中に、入っていく。
入っていくのに、入れてもらっている感じがするのは、どうしてだろう。
私がコートの袖に手を入れているのに、私の感覚は、袖の側になっている。
袖が、気持ちよさそうに、受け入れている。
あなたが、私の中に入ってくるときと、似ている。
袖が、私。
入ってくる側と、入ってこられる側が、どちらも気持ちいい。
ずっと、この感覚を、味わい続けたい。
袖が、肘を過ぎたあと、すっと奥まで来た。
そのとき、かかとが、浮かび上がった。
私の体が、宙に浮いた。
かろうじて、爪先で床に触れていた。
コートの襟を、あなたが持ち続けてくれている。
あなたに、後ろから抱きしめられた感じがした。
世界が、回った。
気がつくと、あなたの唇の前に、私の唇があった。



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