#583 あなたを思い浮かべて、墨をする
あなたの墨のすり方が好き。
お習字の練習をする。
墨をする。
あなたが墨をすっているところを、思い浮かべた。
あなたは、墨をすっている感じがしない。
ぼんやり、何かを眺めている風情。
墨の先が硯(すずり)から浮き上がっているように見える。
あなたが墨を動かしているように見えない。
動く墨を、動きすぎないように、あなたが抑えているみたいに見える。
ゆっくり。
こんなにゆっくり墨がすれるのかと思うくらい、ゆっくりとしたリズム。
時間の流れが、全く違う。
あなたの墨は、呼吸している。
私の墨は、息を止めている。
あなたの手には、全く力が入っていない。
摩擦が起きないように、滑らせている。
あなたが、窓の外を、眺めている。
雲がゆっくり流れるように、あなたは墨をする。
香りが、立ち上がる。
水と墨が、ダンスをする。
そういえば、昨日、すき焼きを一緒に食べたとき、あなたの卵の混ぜ方を見た。
私が泡立つほどかき混ぜているのに、あなたは、2、3回、ふわりと混ぜただけだった。
黄身と白身が、モネの絵のように、筆触分割していた。
まだ、あなたはすっている。
字を書くために墨をすっているのではなくて、もはや、墨をすることを楽しんでいる。
墨が、開放されていくのが、わかる。
私は、あなたにすられる墨に、感情移入していた。
そう、あなたにそうしてもらうと、開放される。
あなたのことを思い浮かべて墨をすった。
いつもと違う墨になった、気がする。