#593 靴ひもの、お点前
あなたの靴の履き方が、好き。
あなたと、老舗の料亭に行った。
あなたは、座って靴を脱ぐ。
靴のひもを、ゆっくり解く。
ほどきながら、女将さんと、お話をする。
下足番のおじさんとも、お話をする。
靴を解く時間も、楽しんでいる。
靴への優しさが、伝わる。
ひもへの優しさが、伝わる。
お店の人への優しさも、伝わる。
私は、こんなふうに靴を脱いでいただろうか。
間違いなく、スピード優先だった。
帰ったら、急いで用事をしたいから、さっと脱いでしまっている。
ヒールがよく、転んでいる。
あとで直しに行くのを忘れて、朝、出かけるときに、気づくこともある。
一晩、転がしたままだった靴に、ごめんねと謝ることも、しばしば。
ある日、転んだ靴を直しに戻ったら、奇麗にそろっていた。
たしかに、転んだ映像が脳裏に浮かぶ。
しかも、いつもより奇麗に並んでいる。
同じそろえているのでも、違う。
隣に、あなたの靴が奇麗にそろっていた。
たぶん、あなたが直してくれた。
あなたが置くと、靴もこんなに奇麗に並ぶ。
私のヒールが、いつもより美人に見えた。
帰るときも。
声をかけたわけではないのに、あなたの靴と私のヒールが用意されている。
絶妙な距離感で、置かれている。
しかも、履きやすい場所に。
あなたは、玄関に腰掛けて、ゆっくり靴ひもを結ぶ。
食事をした余韻を味わう。
絶妙のタイミングで靴べらを渡す女将さんと、話す。
下足番のおじさんと話す。
その話の中身が、また芸術的。
まるで、茶道のお点前を拝見したかのよう。
結構な、お点前でした。