#597 食べる前から、おいしい
あなたの、食べる前が好き。
あなたと、老舗旅館に行った。
こういうところでは、あなたは上座に座ってくれる。
フレンチレストランとは、逆。
女性を謙虚な席に座らせてくれることで、いい女に見せてくれる。
夕食の時間。
お部屋出しの料理。
ご飯と一緒に味わいたい私のために、ご飯も一緒に出してもらえるように、あなたがお願いしてくれる。
心地よく受け入れてくれるのが、ベテランの仲居さんの懐の深さ。
お櫃(ひつ)が運ばれる。
私の横に置かれる。
あなたは自分のほうに、お櫃を引き寄せる。
ご飯をよそってくれる。
ご飯をよそうのはいつも、あなたの係。
あなたのご飯のよそい方に、見とれる。
しゃもじで、ご飯に触れた瞬間、あなたはつぶやく。
「あっ、おいしいよ」
私に、言ったのか。
ご飯に、言ったのか。
たぶん、両方に言ってる。
まだ食べたわけではない。
しゃもじが、触れただけなのに。
あなたは、しゃもじの先で、すでに味わっている。
そういえば、さっきも似たようなことがあった。
いい、しゃもじだね」
しゃもじまで褒めていた。
ご飯をよそう。
ふんわり3回に分けて。
「はい」
あなたから手渡されるお茶碗が、空中に浮かんでいる。
ご飯も、浮かんでいる。
受け取った瞬間、「おいしい」と、フライングして言っている私。