#609 深い、薄味
あなたの深い薄味が、好き。
和食店に入った。
最初に、お椀(わん)が出た。
蓋を開けると、湯気が出る。
香りが漂う。
アラジンの魔法のランプみたい。
この瞬間に、もうお吸い物を飲み干した気分になる。
ワクワクしながら、お椀の中をのぞき込む。
なんの具材だろう。
あらっ。
具材が入っていない。
つい、あなたのお椀の中も、のぞき込んでしまった。
あなたが、ほほ笑んでいる。
のぞき込んだのを、気づかれてしまった。
なんの味だろう。
具材がないだけに、よけい想像が広がる。
そもそも、味が薄い。
薄いというより、ほぼお湯。
味は、最初の湯気の形で、のみ込んでしまったのだろうか。
私の舌が、必死に味を探している。
「おいしい」と言おうと思っていたのに、言えない。
あなたも、「おいしい?」とは尋ねない。
自分でも、「おいしい」とも言わない。
ただ、あなたは何かつぶやいた。
小さくて、聞き取れなかった。
もうひと口飲めば、なんとか。
さっきは、蓋を開けた途端に出た香りに引きずられて、濃い味を想定していたから、裏をかかれた。
今度は、薄めの味への心の準備をするから大丈夫。
ふた口目を、いただく。
それでも、分からなかった。
分かったのは、家に帰って、布団に入ってからだった。
時間差攻撃で、私の口の中に味が広がってきた。
薄味の逆襲。
それは、まさにあなたの魅力そのものだった。
深い薄味に包み込まれながら、あなたがつぶやいた言葉が聞こえててきた。
「ああ、いいね」