#611 撞木が、雲に吸い込まれて
あなたの鐘の撞(つ)き方が、好き。
伝説の鐘を、見るだけでも大満足だった。
鐘の傍らに、小さな建物があった。
護符をもらえる所だろうか。
あなたは、まるで自分の家に帰るように、入っていった。
中の係の女性と、あたかも知り合いのごとく、親しげに話している。
あなたも笑い、女性も笑っている。
あなたが、ほほ笑みながら、出てきた。
「撞かせてもらえるよ」
まさか。
どこに、そんな表示があったのか。
あなたは、ここに来るのは初めてと言っていた。
サイトには、そんな表示はなかった。
あなたは、鐘を釣ったお堂の中にすいすいと入っていった。
鐘は、大きかった。
「2回目で、当てるようにすると、いいよ」
撞木(しゅもく)を引っ張る紐(ひも)を持った。
すでに、重い。
体中が、固くなっていた。
まずい。
完全に、撞木に振り回されている。
1回目で、当たりそうになった。
ぎりぎりのところで止めたせいで、今度は、バックスイングが上がりきらない。
このままいくと、鐘に届かないかもしれない。
迷った。
私の体は、完全に泳いでいた。
センターをずらしてしまった。
弱々しい音が鳴った。
反動で、もう一度、当たりそうになるのを食い止めるのが精一杯だった。
反省していると、お坊さんが正解の音を鳴らしてくれた。
そうそう、この音。
心が整えられる音だった。
鳴らしたのはお坊さんではなく、あなただった。
慌てて、映像を巻き戻した。
あなたの引いた撞木が、バックスイングの頂点で、雲に吸い込まれていくのが見えた。