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【セール情報】10月10日Kindle日替わり作品

【セール情報】10月10日Kindle日替わり作品

2018年10月10日

本日のAmazon Kindle日替わりセール対象作品を紹介致します。
本日は吉村昭(著)『蚤と爆弾』はじめ3作品が対象作品となっております。セール期間は本日の23時59分(日本時間)まで。

『蚤と爆弾』吉村昭(著)

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【内容紹介】
戦争の本質を直視し、曇りなき冷徹さで描かれた傑作!

大戦末期、関東軍による細菌兵器開発の陰に匿された、戦慄すべき事実とその開発者の人間像を描き、戦争の本質に迫った異色長篇小説。



『保守と大東亜戦争』中島岳志(著)

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【内容紹介】
戦争賛美が、保守なのか? ――戦中派・保守論客たちの真意と体験。評論家・保阪正康氏推薦! 歴史の継承は、本質を浮かび上がらせる。そう痛感させる、刺激的な書である。【おもな内容】戦前の日本の立場に積極的な意義を見出そうとし、第二次世界大戦を東アジア解放のための「聖戦」だったとみなす「保守」派。しかし、戦争を賛美することが、いつから「保守」になったのか? じつは、戦前日本において保守論客は、軍国主義に抵抗し、批判の論陣を張っていた。あるいは、兵として軍の欺瞞を目の当たりにし、壮絶な暴力を経験したことで、軍国主義・超国家主義に強い嫌悪感を示していた。すでに鬼籍に入った、戦中派保守たちが残した言葉に向き合いながら、いま、最も注目を浴びる政治学者・中島岳志が、現代において真に闘うべきものはなにかを炙り出す。



『いのちの輝き』Robert C. Fulford, Gene Stone, 上野 圭一(著)

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【内容紹介】
フルフォード博士が語る自然治癒力

現代西洋医学では、解決できないことがある。 アメリカで、半世紀にわたり何千何万の患者を治療してきた伝説のヒーラー(治 癒者)が初めて語る、その驚異の手技、深遠なる生命観、そして正しい呼吸法 やストレッチングなどの実践ノウハウ。 自分のなかに眠っている自然を目覚めさせ、 からだの声に耳を傾けることから、私たちは変わっていける。

「ヒーリング」あるいは「癒し」という言葉は、確実に、現代を解くキーワー ドと言えるだろう。癒されたい。それは、いまという時代を生きる誰もが、か らだや心や魂の奥底から発している叫びなのだ。 「いのちの輝き~フルフォード博士の自然治癒力」は、一連の「ヒーリング本」 の、まさしく極みと言うべき存在の本である。著者のロバート・フルフォード 博士は、「癒す心、治る力」のアンドルー・ワイルが師とあおぐ、伝説の治癒 者(ヒーラー)。半世紀にわたり、アメリカで何千何万という患者を治療して きたオステオパシー医である。「人のからだには、自ら治ろうとする力が秘め られている。治療はその力に火をつけるだけ」。彼は、自らの治療法を謙虚に そう語るが、具体的な事例とともに紹介されるその手技は、驚異以外の何物で もない。 そもそも、現代西洋医学に対し、不信感を抱いている人はきっと多いはずだ。 高額な医療費と、大量のクスリ。胃痛なら消化器科、心臓病は循環器科、心の 問題は精神科という具合に、人のからだをパーツで捉えるやり方。医師は病ん でいる部分だけを治療することに専念し、少しでも専門外になると、別の科に 患者を任せてしまう。これでは、症状の本当の原因を見逃してしまうことも少 なくないはずだ。これに反し、オステオパシー医学の根底には、人間を、から だ、心、そして魂からなるひとつの宇宙として捉える考え方がある。けっして、 人を個々のパーツの寄せ集めなどと考えたりはしない。どこが病んでいようと、 それを心身全体の病気として捉える。意識下の問題が解決されない限り、心と 体のバランスがとれた真の健康は手に入らないし、逆に、心と体のバランスが とれていないと、意識下の部分に病が生じる。心と体の健康が整って、初めて 魂の浄化ははかれるのである。 アンドルー・ワイルは、本書の序文にこう書いている。「とくに請われないか ぎり、彼(=フルフォード博士)は自分の方法を人に説明することもなく、深 遠な思想を胸のうちにしまいこんでいた。患者に診断結果や治療法を説明する ときも、常に簡潔な言葉をもちい、ただの一度も専門用語は使わなかった。」 こうした彼の治療そのままに、この本は、きわめて読みやすく平易な文章で書 かれている。さらに、奥深い真理から、正しい呼吸法やストレッチング法など すぐに実践できるノウハウまで、バランス良く構成されていることも、本書の 特徴の一つだろう。 ヒーリング。健康。自然回帰。自分さがし。現代人の求めるものすべてが、こ の本には詰まっている。90歳を越える著者が、初めてすべてを語り尽くしたの は、実は「時代」の要請だったような気がしてならない。