これを書いている今時分は、8月31日24時47分。この2回目のコラムの締切りが9月1日。日付的には『今日』だ。
それだというのに、僕は今から筆を進めようというのだから片腹どころか両脇腹が痛い。
確かに「うわー締切り間近じゃーん、こいつぁいっけねえ」などと上級者みたいな口ぶりで嘯きつつ、カチャカチャとキーボードを面白く叩き、面白い言葉で文章を構成させ、面白い顔をして「これでよし、と」とエンターキーを押すことへの憧れを募らせること幾星霜、僕はようやく手にした念願の『期間限定のコラムニスト』という時限爆弾を持ってそんなことを思いながらうろうろするなどしている間に、我が眼前には死兆星がキラキラと瞬き、それを見た僕は憤怒の表情を浮かべながら、「えーん、えーん」と泣いてしまいました。
昔から僕は怠惰な人間であり、8月31日に7月の中ごろからの絵日記を書くという一人タイムスリップをしながら、薄型プレステ2くらいの厚みのある算数の課題をやり、自由研究のためにペットボトルのロボットというゴミみたいなゴミの制作するなどを、半泣きどころか全泣きでやるタイプの青き少年でした。なので、「あの頃から俺は、何にも変わってねえなぁ」と思いながらバスローブを羽織り、膝元のペルシャ猫を撫でて現世などを呪いました。
発売当初のスーパーファミコン版『ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁』のパッケージ
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そんな無意味なノスタルジーとは比較にならないほど、ドラマティックな少年の成長を描いたのが、『ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁』なのです。ここまで長かったですね。
RPGの主人公というのは、生まれながらにして何かとんでもない運命の歯車などを背負わされた、いわゆる勇者であることが多く、この王道イメージを植え付けたのが何を隠そうドラゴンクエストであると言っても過言ではあったりなかったりするのですが、この『ドラクエV』の主人公はいわゆる『勇者』ではないのです。
物語は父親と少年の二人が船に乗ってビスタ港という小さな港にたどり着いたところから始まります。この少年が主人公なのですが、妖精が見えるほどとても心がきれいで大人しい印象を持たれることの多い子で、この子の小さな冒険から物語は少しづつ動きはじめ、そして確実に成長していきます。
父親の後ろをただついていくだけの何も知らなかった少年が、いろんな紆余曲折を乗り越えて大きくなり、時には奴隷になったり、時には王様になったりしながら、結婚をして子供ができて親になる。最初は好奇心から始まる探検も、だんだん運命に導かれるように世界の命運を握る大きな渦に巻き込まれていく、今までのRPGとは一線を画した、始めたら最後、涙なしでは語れない波乱万丈のヒューマンドラマが待っているのです。ユーモラスのかけらもない文章になってしまいましたが、これを書いている瞬間の僕の顔はこの世のものとは思えないほど面白いので、許してあげた方がいいと思います。
『ドラゴンクエストV』の主人公と父親
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「少年の成長を描く」というのが、『ドラクエV』における大きなテーマのようで、小さい頃に見ていた同じ景観を、大人になってから見るととても小さく感じるというノスタルジックな想いを表現するために、一番最初に発売されたスーパーファミコン版では、主人公が初めて訪れる町であるサンタローズが大人になってから来ると、マップがほんの少し狭める工夫がなされているというおしゃれな演出もあります。
ちなみに僕は初プレイの際に全く気づかずクリアし、その話を聞いてから改めてプレイしてみようと思い立ち、大人になってサンタローズの町にたどり着くや否や開口一番、「そうかなあ?狭くなってるかなあ?」などとお口をあんぐり開けて言いました。愛くるしいですね。
『シャドウ』道尾 秀介(東京創元社)
子供の成長というのは、大人が思うより突然に訪れるもので、それは自分の身の回りの何かの刹那的な感情の流れや機微を敏感に察知できるからこそだと思うのです。今2人くらい子供がいる父親みたいなツラをして書いているのですが、そんな刹那的な感情をうまく描き、読者をもまるごと世界へ引きずり込んだ作品が、道尾秀介さんの『シャドウ』です。
僕はことあるごとにこの『シャドウ』をおすすめするために、息を吸ったり吐いたりなどしているゴリラなのですが、今回ほどおすすめする流れが綺麗に決まったことは過去一度としてありませんでした。みなさんちゃんと褒めるように。
この作品に出てくる子供たちは、とても強い子たちです。まだ未読の方もいらっしゃるかと思うので多くは語れませんが、この話の筋は『子供たちの成長』です。僕はそう思いました。
道尾先生らしい文体で彩られた物語を読み進め、中盤から終盤にかけて巧妙かつ大胆なトリックに心を揺さぶられ、そしてラストを読んで胸を締め付けられる、そのスピード感は、「これから読書の秋に入ろうという時候に、ピッタリなのではないか」などと思いながら鼻をほじっています。なぜかと言うと、なんか定型文みたいな固い文章だったからです。
長く険しい山のような文章でしたが、ほとんどレビュー記事みたいになってしまいました。
コラムとしてどうなんですか。我ながら、途中ゴリラになって鼻ほじってたくせによくもまあ『レビュー記事みたい』だなんて言えたなと思いますが、大目に見てあげた方がいいと思います。
また、出来るなら過去の余裕のある自分に「コラム書け」などと言ってやりたいなあ、本当に一人タイムスリップが出来ればなあと思いました。
これで、伏線回収したことにしてください。お願いします。
ところで『一人』タイムスリップってなんなんですかね?
また来週。
■今回ご紹介いただいた書籍
■『シャドウ』道尾 秀介(東京創元社)
人は、死んだらどうなるの?
――いなくなるのよ
――いなくなって、どうなるの?
――いなくなって、それだけなの――。
その会話から三年後、凰介の母は病死した。
父と二人だけの生活が始まって数日後、幼馴染みの亜紀の母親が自殺を遂げる。
そして亜紀が交通事故に遭い、洋一郎までもが……。
父とのささやかな幸せを願う小学五年生の少年が、苦悩の果てに辿り着いた驚愕の真実とは?
いま最も注目される俊英が放つ、巧緻に描かれた傑作。第七回本格ミステリ大賞受賞作。